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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
梨本伊都子
(故人)
山羊座
梨本 伊都子(なしもと いつこ、1882年〈明治15年〉2月2日 - 1976年〈昭和51年〉8月19日)は、日本の旧皇族。梨本宮守正王の妃。鍋島直大侯爵令嬢。妹に松平信子。お印は桂。旧名は、鍋島 伊都子(なべしま いつこ)。
鍋島榮子
(故人)
蟹座
鍋島 榮子(なべしま ながこ、安政2年5月18日(1855年7月1日) - 昭和16年(1941年)1月3日)は、日本の華族。社会事業家。岩倉具義(岩倉具視公爵長男)夫人。鍋島直大侯爵夫人。梨本伊都子・松平信子の母。
鍋島直大
200cm
鍋島 直大(なべしま なおひろ)は、江戸時代末期(幕末)の大名。明治・大正時代の政治家、外交官。位階・勲等・爵位は従一位勲一等侯爵。肥前佐賀藩第11代藩主(最後)、同藩初代藩知事、駐イタリア特命全権公使、元老院議官、宮中顧問官、式部長官などを歴任した。
松平信子
(故人)
山羊座
松平 信子(まつだいら のぶこ、明治19年(1886年)7月15日 - 昭和44年(1969年)5月8日)は、松平恒雄の夫人である。侯爵鍋島直大の四女で、娘に秩父宮妃勢津子、徳川正子、姉に梨本宮妃伊都子がいる。戒名は、蓮月院殿和光妙聖日信大姉である。
鍋島直縄
(故人)
牡牛座
鍋島 直縄(なべしま なおただ、1889年〈明治22年〉5月6日 - 1939年〈昭和14年〉4月29日)は、日本の政治家・実業家・華族(子爵)。旧鹿島藩鍋島家第14代当主。長男は佐賀県知事を務めた鍋島直紹。
鍋島直柔
(故人)
蠍座
鍋島 直柔(なべしま なおとう、1858年11月12日(安政5年10月7日) - 1910年(明治43年)2月7日)は、蓮池藩鍋島家第10代当主、貴族院議員。位階・勲等・爵位は正三位勲四等子爵。
鍋島直正
(故人)
山羊座
鍋島 直正(なべしま なおまさ、文化11年12月7日〈1815年1月16日〉- 明治4年1月18日〈1871年3月8日〉)は、江戸時代末期の大名、明治初期の日本の政治家、華族。位階は従一位。幕末の肥前佐賀藩10代藩主で、維新後に軍防事務局輔、開拓長官、大納言などを歴任。
鍋島直泰
(故人)
天秤座
鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年〈明治40年〉10月3日 - 1981年〈昭和56年〉4月1日)は、日本の宮内官僚、政治家、華族(侯爵)。旧佐賀藩鍋島家第13代当主。貴族院議員。
鍋島直虎
(故人)
魚座
鍋島 直虎(なべしま なおとら、安政3年2月9日(1856年3月15日) - 大正14年(1925年)10月30日)は、肥前小城藩の第11代(最後の)藩主。明治時代から大正時代にかけての政治家、華族(子爵)。肥前佐賀藩主・鍋島直正の七男。母は側室・木村矩欽の娘。
鍋島勝茂
鍋島 勝茂(なべしま かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。肥前佐賀藩主。
鍋島直映
(故人)
獅子座
鍋島 直映(なべしま なおみつ、1872年8月20日(明治5年7月17日) - 1943年(昭和18年)12月10日)は、旧佐賀藩鍋島家第12代当主。第11代藩主・直大の嫡男。正二位勲三等侯爵。夫人は黒田長知の次女・禎子。
鍋島紀久子
(故人)
山羊座
鍋島 紀久子(なべしま きくこ、1911年〈明治44年〉9月12日 - 1989年〈平成元年〉2月12日)は、日本の元皇族。旧名は、紀久子女王。朝香宮鳩彦王と同妃允子内親王の第1王女子。弟に孚彦王・正彦王、妹に湛子女王がいる。お印は花印。
多久茂文
多久 茂文(たく しげふみ)は、江戸時代前期から中期にかけての肥前国佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)4代当主。
鍋島忠直
鍋島 忠直(なべしま ただなお)は、江戸時代前期の肥前国佐賀藩の世嗣。官位は従五位下・肥前守。
鍋島直茂
鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。戦国大名・龍造寺隆信の義弟である。肥前佐賀藩の藩祖。なお数回改名しており、本項では便宜的に後期の名乗りである直茂で統一して解説する。
鍋島直道
鍋島 直道(なべしま なおみち)は、江戸時代後期の肥前国蓮池藩の世嗣。通称は下総。
鍋島直朝
鍋島 直朝(なべしま なおとも)は、肥前鹿島藩の第3代藩主。前2代に鍋島忠茂・正茂がいるが、正茂系は5000石の旗本として存続したため、別家として扱われる。
鍋島治茂
鍋島 治茂(なべしま はるしげ)は、肥前鹿島藩7代藩主、のち肥前佐賀藩8代藩主。佐賀藩第5代藩主・鍋島宗茂の十男で、第6代藩主・宗教と第7代藩主・重茂の弟。藩政の抜本的な改革に着手した名君として知られ、佐賀藩中興の祖と呼ばれている。肥前守、大名当主名「松平肥前守治茂」。
鍋島直彜
鍋島 直彜(なべしま なおのり)は、肥前鹿島藩の第9代藩主。諱の読みは「なおつね」ともいわれる(「彜」は上から彑、粉、廾と書いた漢字である)。
鍋島直永
鍋島 直永(なべしま なおなが)は、肥前鹿島藩の第10代藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の実兄である。
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