竹俣義秀

読みタケマタヨシヒデ
没年月日1674年01月01日没

竹俣 義秀(たけまた よしひで)は、江戸時代初期から中期にかけての武士。出羽国米沢藩上杉氏の家臣。初め保科氏を名乗ったが、後に実家の姓である竹俣氏に復す。侍組分領家のひとつ竹俣氏分家の竹俣西家の祖。家格は侍組分領家。幼君であった上杉綱憲を補佐し、当時、「諸家七賢人の随一」と呼ばれた。

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