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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
寒河江時氏
寒河江 時氏(さがえ ときうじ)は南北朝時代から室町時代の武将。初めて寒河江氏を称したとされる。寒河江氏8代。寒河江城主初代。
大友氏継
大友 氏継(おおとも うじつぐ)は、南北朝時代・室町時代の武士。豊後国大友氏の第9代当主。応安元年/正平23年(1368年)、父氏時が死去すると、氏継が大友氏の家督を継ぐ。当時の九州は南朝の勢力が盛んであり、氏継もそれに抵抗できず南朝方に味方する。
大友親世
大友 親世(おおとも ちかよ)は、南北朝時代・室町時代の武将・守護大名。豊後国大友氏の10代当主。式部家の祖。応安元年/正平23年(1368年)、父の氏時が死去した後、後を継いだ兄の氏継が南朝方に味方したので、北朝方として同年のうちに当主となった。
小笠原長基
小笠原 長基(おがさわら ながもと)は、南北朝時代から室町時代の武将、守護大名。信濃守護。府中小笠原氏当主。先代守護小笠原政長の長男。子に長将(持長の父)、長秀、政康など。
京極高詮
京極 高詮(きょうごく たかのり)は、室町時代前期の武将、守護大名。室町幕府侍所頭人、近江・飛騨・出雲・隠岐・山城・石見守護。官名は治部少輔。
楠木正顕
楠木 正顕(くすのき まさあき)は南北朝時代末期および室町時代前期の武将。初名は正盛(まさもり)。楠木正成の孫正勝の嫡子。伊勢国司北畠家の家臣。伊勢楠木氏の祖。子は正重、正理、正威。
国分胤輔
(644歳)
蟹座
国分 胤輔(こくぶん たねすけ、正和2年(1313年)? - 天授6年/康暦2年6月5日(1380年7月7日)?)は、日本の室町時代に陸奥国宮城郡にいたとされる武士である。陸奥国の国分氏第7世の当主とされるが、実在しない可能性もある。
国分胤親
(670歳)
牡牛座
国分 胤親(こくぶん たねちか、正中3年/嘉暦元年(1326年) - 文和4年/正平10年3月22日(1355年5月4日)?)は、日本の室町時代に陸奥国宮城郡にいた武士である。1335年に結城氏から国分氏に養子に入り、1355年に黒川で戦死したというが、実在しない可能性もある。
小林義繁
小林 義繁(こばやし よししげ)/ 小林 時直(こばやし ときなお)は南北朝時代の武士。義繁を題材とした能『小林』が作られている。名称は明徳記には義繁とあり、日本外史や江戸〜明治期の資料には時直との表記が見られる。
斯波氏経
斯波 氏経(しば うじつね、生没年不詳)は南北朝時代の武将、守護大名。越前守護、九州探題。官位は民部少輔、左京大夫。斯波高経の次男。兄に家長、弟に氏頼、義将、義種、叔父には奥州斯波氏の祖となる斯波家兼がいる。子に義高。末野氏の祖とされる。
斯波氏頼
斯波 氏頼(しば うじより、生没年不詳)は、南北朝時代の武将、守護大名。若狭守護。斯波高経の3男。兄に家長、氏経、弟に義将、義種。叔父には奥州斯波氏の祖となる家兼がいる。妻は佐々木道誉(京極高氏)の娘。官職は左近衛将監、左衛門佐。
渋川義行
渋川 義行(しぶかわ よしゆき)は、南北朝時代の武将・九州探題。渋川氏6代当主。
島津元久
島津 元久(しまづ もとひさ)は、南北朝時代から室町時代の武将、守護大名。大隅・日向・薩摩守護。島津氏第7代当主(奥州家第2代当主)。島津氏6代当主島津氏久の嫡男で、母は伊集院忠国の娘。久豊の兄。子に仲翁守邦。至徳4年/元中4年(1387年)の父の死により奥州家を継ぐ。
少弐貞頼
少弐 貞頼(しょうに さだより)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての武将・守護大名。少弐氏10代当主。
少弐頼尚
少弐 頼尚(しょうに よりひさ/よりなお)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。少弐氏6代当主。
杉重運
杉 重運(すぎ しげかず)は、南北朝時代から室町時代の武将。周防国の守護大名大内氏の重臣。大内義弘に仕え、数々の戦いで活躍した。杉豊後守、杉豊後入道と称した。子に杉備中守重明がいる。豊後守に任じられ、のちに剃髪して豊後入道と称した。
武田信成
武田 信成(たけだ のぶなり)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての武将。甲斐源氏11代当主。武田氏8代当主。甲斐国守護・守護代。第10代当主・武田信武の嫡男(ただし、異説もある。後述)。第12代当主・武田信春、武田基信、武田武春、布施満春、栗原武続の父。安芸武田氏当主武田氏信の兄。
武田信春
武田 信春(たけだ のぶはる)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。甲斐源氏第12代当主。武田氏9代当主。信時流武田氏の子孫で武田信成の子。官途名は兵庫助、修理亮及び伊豆守。兄弟に基信、武春、布施満春、栗原武続がいる。
長尾忠綱
長尾 忠綱(ながお ただつな)は、南北朝時代から室町時代にかけて活動したと推測される武士。総社長尾氏の一族。父とされる長尾忠房は総社長尾家の祖であり、子・忠政は山内上杉家の家宰を務めた。また、もう一人の子・憲明は総社家の分家である高津長尾家を興した。
小田孝朝
(故人)
山羊座
小田 孝朝(おだ たかとも、延元2年/建武4年12月4日(1337年12月26日) - 応永21年6月16日(1414年7月3日)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。小田氏の第9代当主。第8代当主・小田治久の子。太郎。讃岐入道。
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