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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
小山成長
小山 成長(おやま しげなが)は、室町時代から戦国時代の武将。小山氏当主。下野守。幼名は梅犬丸、通称は小四郎。
小山若犬丸
小山 若犬丸(おやま わかいぬまる、生年未詳 - 応永4年(1397年)1月25日?)は、室町時代の小山氏の武将。小山義政の嫡男。小山 隆政(おやま たかまさ)とも。幼名の若犬丸で知られる。
甲斐敏光
甲斐 敏光(かい としみつ、生没年不詳)は、室町時代中期の武将。越前・遠江守護代。甲斐将久(常治)の子、信久(のぶひさ)の父。通称は八郎。
香川景兼
香川 景兼(かがわ かげかね)は、室町時代末期の讃岐国の武将。香川郡香川町安原鳥屋城主。父は香川景宗。西讃の守護代である香川氏の支流であり、香川景房の同母弟香川景仲系の一族。大膳大輔。川田景兼とも。弟に川田景連、川田景秀、川田景冬、川田吉景、川田景村、川田景夏。
印牧広次
印牧 広次(かねまき ひろつぐ)は、室町時代後期の武将。朝倉氏の家臣。越前国の朝倉孝景に仕えており、優れた武将であると共に文官としての才もあった。幻雲文集(「続群書類従」所収)によれば、「居越州府。以司国務。」とあり、政務を見る一方、「膂力絶人。勇功蓋國。
吉良俊氏
吉良 俊氏(きら としうじ、生没年不詳)は、室町時代前期の武将。吉良満貞の子。西条城主。西条吉良氏(上吉良)2代。幼名は三郎。官位は従五位下、左兵衛佐。妻は今川貞世(了俊)の娘。子は吉良義尚、吉良頼氏、吉良義真。次男頼氏は奥州(武蔵)吉良氏の吉良頼治の養子となった。
吉良持長
吉良 持長(きら もちなが)は、室町時代前期から中期にかけての武士。後期東条吉良(下吉良)氏3代当主。三河国東条城主。吉良朝氏の子として誕生。元服時に室町幕府4代将軍・足利義持より偏諱を受けて持長と名乗る。
吉良義藤
吉良 義藤(きら よしふじ)は、室町時代後期の武将。後期東条吉良(下吉良)氏5代当主。三河国東条城主。
国分盛行
国分盛行(こくぶんもりゆき、生没年不明)は、室町時代に日本の陸奥国宮城郡にいた国分氏の第11世とされる武士である。伊達成宗と三度戦ってから和睦し、禅に傾倒して曹洞宗の寺院を創建・修理した。国分氏は南北朝時代から戦国時代末まで宮城郡南部にいた一族である。
後藤正明
後藤 正明(ごとう まさあきら/まさあき、生没年不詳)は、室町時代の武将。肥前後藤氏の第16代当主(武雄領主)。左衛門太夫と号す。第15代当主後藤英明の子。
塩原綱宗
塩原 綱宗(しおばら つなむね)は、戦国時代の武将。下野宇都宮氏の家臣。
斯波氏経
斯波 氏経(しば うじつね、生没年不詳)は南北朝時代の武将、守護大名。越前守護、九州探題。官位は民部少輔、左京大夫。斯波高経の次男。兄に家長、弟に氏頼、義将、義種、叔父には奥州斯波氏の祖となる斯波家兼がいる。子に義高。末野氏の祖とされる。
斯波氏頼
斯波 氏頼(しば うじより、生没年不詳)は、南北朝時代の武将、守護大名。若狭守護。斯波高経の3男。兄に家長、氏経、弟に義将、義種。叔父には奥州斯波氏の祖となる家兼がいる。妻は佐々木道誉(京極高氏)の娘。官職は左近衛将監、左衛門佐。
斯波寛元
斯波 寛元(しば ひろもと /- とおもと、生没年不詳)は、室町時代後期から戦国時代初期の武将。通称は弥三郎。官は中務少輔。父は武衛家10代当主・斯波義敏。兄に尾張守護・義寛、兄弟に義雄、義延。兄・義寛の部将として兄弟の義雄と共に各地を転戦する。
斯波政綿
斯波 政綿(しば まさつら、生没年不詳)は、室町時代後期から戦国時代初期の武将。通称は四郎三郎、新三郎。越前守護である斯波氏の一門で、代々越前今立郡鞍谷を領していた今立斯波家(鞍谷斯波家)に生まれる。
増阿弥
増阿弥(ぞうあみ、生没年未詳)は、室町時代の田楽法師、田楽新座の役者。世阿弥と同時期に活躍し、田楽能の名手として世阿弥と人気を争った。「冷えに冷えたり」(『申楽談義』)と評されるように、幽玄な芸風の持ち主であったらしく、応永20年代ごろ足利義持の後援を受けて活躍した。
竹林元業
竹林 元業(たけばやし もとなり)は、室町時代中期の武将。下野宇都宮氏の家臣。竹林氏の祖。
田中千阿弥
田中 千阿弥(たなか せんなみ、生没年不詳)は、千利休の祖父で子に堺の有力町衆である田中与兵衛がいる。『千家系譜』、『千利休由緒書』によると、千阿弥の遠祖は里見義俊の子の田中義清であり、その子孫。千阿弥は室町幕府8代将軍足利義政に仕えて同朋衆を務めた。
中条満平
中条 満平(ちゅうじょう みつひら、生没年不詳)は室町時代前期の武将。室町幕府奉公衆。三河国高橋荘(愛知県豊田市)地頭。中条詮秀の子。兄は中条満秀。官途は刑部大輔。
永山忠好
永山 忠好(ながやま ただよし、生没年不詳)は、戦国時代の武将。下野国の大名・宇都宮氏の家臣。道号は道損。
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