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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
御馬皇子
御馬皇子(みま の みこ、生年不明 - 推定456年(安康天皇3年)10月)は、記紀に伝えられる古墳時代(5世紀頃)の皇族(王族)。履中天皇の皇子。『古事記』では御馬王(みま の おおきみ)。母は葦田宿禰(葛城襲津彦の子。一説に羽田矢代宿禰)の女の黒媛(くろひめ)。
坂田耳子
坂田 耳子(さかた の みみこ)は、古墳時代の豪族あるいは皇族。姓は不明。坂田 耳子郞君(さかた の みみこ の いらつきみ)・坂田耳子王(さかたのみみこのおおきみ)ともいう。
丹波道主命
丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと/たにはのみちぬしのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。
石上皇子
石上皇子(いそのかみおうじ・いそのかみのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。『古事記』での表記は石上王。
大碓皇子
大碓皇子(おおうすのみこ/おほうすのみこ、景行天皇12年? - 景行天皇52年?)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。『日本書紀』では「大碓皇子」または「大碓命(おおうすのみこと)」、『古事記』では「大碓命」と表記される。
大彦命
大彦命(おおひこのみこと/おおびこのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。『日本書紀』では「大彦命」、『古事記』では「大毘古命」と表記される。また稲荷山古墳出土鉄剣の銘文に見える「意富比垝」に比定する説がある。
吉備津彦命
吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。第7代孝霊天皇皇子である。四道将軍の1人で、西道に派遣されたという。
武渟川別
武渟川別(たけぬなかわわけ、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古墳時代の皇族。『日本書紀』では「武渟川別」「武渟河別」、『古事記』では「建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)」と表記される。第8代孝元天皇皇子の大彦命の子で、阿倍臣(阿倍氏)の祖。
彦坐王
彦坐王(ひこいますのみこ/ひこいますのおう、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。『日本書紀』では「彦坐王」、『古事記』では「日子坐王」、他文献では「彦坐命」・「彦今簀命」とも表記される。
稚武彦命
稚武彦命(わかたけひこのみこと)は、記紀に伝わる古代日本の皇族。『日本書紀』では「稚武彦命」、『古事記』では「若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)」「若建吉備津日子命」、他文献では「若武彦命」とも表記される。
神櫛皇子
神櫛皇子(かみくしのみこ(かみくしおう)/かむくし-/かんくし-/かんぐし-、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。『日本書紀』では「神櫛皇子」、『古事記』では「神櫛王」、他文献では「神櫛別命」「神櫛命」「五十香彦命」とも表記される。
豊城入彦命
豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、記紀に伝わる古代日本の皇族。第10代崇神天皇皇子である。『日本書紀』では「豊城入彦命」「豊城命」、『古事記』では「豊木入日子命」と表記される。東国の治定にあたったとされ、上毛野君や下毛野君の始祖とされる。
五十日足彦命
五十日足彦命(いかたらしひこのみこと:紀)は、古墳時代の皇族。第11代垂仁天皇の皇子。越国(現在の北陸地方)の開発に尽力したとされる。『古事記』には五十日帯日子王(いかたらしひこのみこ)。
天足彦国押人命
天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。『日本書紀』では「天足彦国押人命」、『古事記』では「天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)」、他文献では「天足彦国忍人命」とも表記される。
桜井皇子
桜井 皇子(さくらい の みこ、欽明天皇21年(560年)前後? - 用明天皇2年(587年)?)は、古墳時代終末期の皇族。欽明天皇と妃蘇我堅塩媛(蘇我稲目の女)の第六皇子。用明天皇・推古天皇の同母弟。吉備姫王(皇極=斉明天皇・孝徳天皇の母)の父。
蘆髪蒲見別王
蘆髪蒲見別王(あしかみのかまみわけのみこ)は、『古事記』、『日本書紀』に登場する皇族で、日本武尊の子。『古事記』では足鏡別王と記され、母は山代之玖玖麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ)で、鎌倉別、小津、石代別、漁田別の祖とされる。
五百城入彦皇子
五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ、『日本書紀』に因る)は、古墳時代の皇族。景行天皇の子で、母は八坂入媛命。同母兄に成務天皇などがいるほか同母弟が5人、同母妹が5人、異母兄弟に日本武尊など68人いるといわれる(うち名が伝わっているのは46人)。
息速別命
息速別命(いこはやわけのみこと/おきはやわけのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。第11代垂仁天皇の皇子である。
五十瓊敷入彦命
五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと、生没年不詳)は、記紀に伝わる古代日本の皇族。『日本書紀』では「五十瓊敷入彦命」「五十瓊敷命」「五十瓊敷皇子」、『古事記』では「印色入日子命」と表記される。第11代垂仁天皇の皇子で、第12代景行天皇の同母兄である。
乎非王
乎非王(おいのおおきみ・おいのみこ、生没年不詳)は、「上宮記」逸文に記される5世紀頃の皇族(王族)。『古事記伝』の釈文などに宇非王(宇斐王)と表記するのは誤り。
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