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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
印支弥
印支弥(いきみ、生没年不詳)は、6世紀前半の任那日本府の官吏。印岐弥とも。
有至臣
有至臣(うちのおみ、生没年不詳)は、6世紀中ごろの武人。百済王の使臣。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。
河内直
河内直(かふちのあたい、生没年不詳)は、倭系の安羅人。任那日本府の官吏。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。加不至費直とも。
既酒臣
既酒臣(こせのおみ、生没年不詳)は、6世紀前半の任那日本府の官吏。許勢臣とも。
己連
己連(これん、生没年不詳)は、百済の官僚。官位は「奈率」(百済の官位十六品の第六位)。『日本書紀』では中部奈率己連と登場する。己連は、『日本書紀』欽明紀六年五月条「奈率其㥄」と同一人とみられる。
佐魯麻都
佐魯麻都(さろまつ、生没年不詳)は、倭系の安羅人。任那日本府の実務担当者である「執事」。
物部烏
物部烏(もののべ の かく)は、欽明朝前半期の物部連の百済の官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。官位は奈率。
河内部阿斯比多
河内部阿斯比多(かわちべのあしひた、生没年不詳)は、欽明天皇に上奏した朝鮮(百済、加羅、安羅)から派遣された倭系使者。
物部哥非
物部哥非(もののべ の かひ)は、欽明朝前半期の物部連の百済官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。官位は奈率。
的臣
的臣(いくはのおみ、生没年不詳)は、欽明天皇代の任那日本府に駐在していた官僚。名は不詳。百済から任那情勢を左右する重要人物と見做されていた。
物部用歌多
物部用歌多(もののべ の ようがた)は、欽明朝前半期の物部連の百済官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。官位は奈率。
勿部珣
勿部 珣(ブツブ シュン、生没年不詳)は、百済出身の唐の将軍。官位は「金吾衛大将軍」。
吉備臣
吉備臣(きびのおみ、生没年不詳)は、欽明天皇代の任那日本府の官人。名は不詳。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。
倭系百済官僚
倭系百済官僚(わけいくだらかんりょう)は、日本人(倭人)であるが、百済王権に仕えた百済官僚。日系百済官僚という用語も使われている。
沙沙奴跪
沙沙奴跪(ささなこ、生没年不詳)は、『日本書紀』に登場する百済の武官。『日本書紀』に「ささなこ」という古訓が附されていること、「ささなこ」の名が日本式であること等から倭人か、あるいは韓地在住の倭人とみられる。
斯那奴次酒
斯那奴次酒(しなぬ の しす、生没年不詳)は、欽明朝前半期の百済官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。官位は施徳、その後、徳率に昇進。科野次酒とも。
科野新羅
科野新羅(しなぬ の しらき、生没年不詳)は、欽明朝前半期の百済官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚。官位は百済官位六等「奈率」。
阿礼奴跪
阿礼奴跪(あれなこ、生没年不詳)は、雄略天皇代の日本使者。日本からの使者とあるから、日本人とみられる。
加猟直岐甲背
加猟直岐甲背(かろうじきこうはい、生没年不詳)は、『日本書紀』に登場する人物。任那日本府の高官。日本人とみられる。
為哥可君
為哥可君(いかかのきみ、生没年不詳)は、任那日本府の官吏。河内直の先祖たちにそそのかされ、国難を憂慮せず暴虐を重ねたことから、任那日本府から放逐される。
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