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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
岸本左一郎
(故人)
山羊座
岸本 左一郎(きしもと さいちろう、1822年(文政5年) - 1858年(安政5年))は、江戸時代の囲碁棋士。石見国大森生まれ、本因坊丈和門下、追贈七段。橘堂の号もある。
熊谷本碩
熊谷 本碩(くまがい ほんせき、生没年不詳)は、江戸時代の囲碁棋士。武州熊谷出身。本因坊道策門下の五弟子と称される一人。上手格。23歳で夭逝と伝えられる。経歴については伝わっていない。
河野元虎
(故人)
山羊座
河野 元虎(こうの もととら、1761年(宝暦11年) - 寛政7年8月26日(1795年10月8日))は、江戸時代の囲碁棋士、大阪生まれ、本因坊察元門下、五段。幼名は虎之助。10世本因坊烈元の跡目候補として御城碁にも出仕したが、夭逝する。
小松快禅
小松 快禅(こまつ かいぜん、快全、生没年不詳)は、江戸時代の僧で、素人碁打ち。加賀国能美郡小松に生まれ、その後江戸の増上寺に所化、宝暦から安永頃に囲碁の強豪として名を馳せた。五段。快禅の大塗りと呼ばれるハメ手の棋譜で有名。
坂口仙徳
(故人)
山羊座
坂口 仙徳(さかぐち せんとく、元文3年(1738年、推定) - 天明3年11月30日(1783年12月23日))は、江戸時代の囲碁棋士。武蔵国生まれ、五世安井春哲仙角門下、六段。家元安井家の外家坂口家を興し、御城碁にも出仕した。七世安井仙角仙知は実子。
阪口仙得
(故人)
山羊座
阪口 仙得(さかぐち せんとく、享和元年(1801年) - 慶応3年(1867年)推定)は、江戸時代の囲碁棋士。安井仙角仙知門下、家元安井家の外家坂口家三世、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。元の名は荻野虎次郎。
桜井知達
(故人)
山羊座
桜井 知達(さくらい ちたつ、寛政9年(1797年) - 文化11年(1814年))は、江戸時代の囲碁棋士。七世安井仙角仙知門下。本因坊丈和、井上幻庵因碩と角逐するが、18歳で夭逝。本因坊丈和は10歳年長で、丈和が22歳の文化6年(1809年)から先番での棋譜が残されている。
四宮米蔵
(故人)
山羊座
四宮 米蔵(しのみや よねぞう、1769年(明和6年) - 1835年(天保6年)は、囲碁の棋士。淡路国津名郡上畑村(現兵庫県淡路市木曽上畑)出身。賭碁師として全国を遍歴し、阿波の米蔵の名を馳せた。後に本因坊門下、四段。晩年は一生軒無案を号す。
渋川春海
(故人)
山羊座
渋川 春海(しぶかわ はるみ / しぶかわ しゅんかい、、寛永16年閏11月3日〈1639年12月27日〉- 正徳5年10月6日〈1715年11月1日〉)は、江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。
鈴木知清
鈴木 知清(すずき ちせい、生年不詳 - 1835年(天保6年)10月)は、江戸時代の囲碁棋士。尾張国生まれ、安井家門下、六段。父鈴木順清に次いで尾張藩碁所を勤める。奥貫智策との百一番の対局を「對手百談」として刊行。
関山仙太夫
(故人)
山羊座
関山 仙太夫(せきやま せんだゆう、天明4年(1784年) - 安政6年(1859年))は、江戸時代の囲碁棋士、信濃国松代藩士で真田幸貫家臣。本因坊烈元門下、五段格とも七段格とも言われ、素人日本一と称される。晩年の本因坊秀策との二十番碁は著名。
高橋友碩
(故人)
山羊座
高橋 友碩(たかはし ゆうせき、1681年(延宝9年)頃 -1726年(享保11年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の五世井上策雲因碩の跡目井上友碩。美濃国生まれ、四世本因坊道策のち四世井上道節因碩門下、七段。御城碁5局を務めた他、『傅信録』編纂に携わった。
中川順節
(故人)
山羊座
中川 順節(なかがわ じゅんせつ、1804年(文化元年) - 1865年3月28日(元治2年3月2日))は、江戸時代の囲碁棋士。井上幻庵因碩門下、五段。大阪に移り住んで関西碁界発展に尽くし多くの弟子を育てた他、本因坊秀策との対局が有名。
中村道碩
(故人)
山羊座
中村 道碩(なかむら どうせき、天正10年(1582年) - 寛永7年8月14日(1630年9月20日))は、江戸時代の囲碁棋士。本因坊算砂を継いで二世名人となり、算砂同様に碁打衆の頭領格となった。
長谷川知仙
(故人)
山羊座
長谷川 知仙(はせがわ ちせん、1682年(天和2年) - 1728年(享保13年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元安井家の四世安井仙角の跡目安井知仙。七段。跡目となって御城碁1局を務めて没した。
服部因淑
(故人)
山羊座
服部 因淑(はっとり いんしゅく、宝暦11年(1761年) - 天保13年(1842年))は、江戸時代の囲碁棋士。美濃国出身、井上春達因碩門下、七段上手。井上家の外家服部家を興した。因徹と名乗っていた青年時代には、本因坊元丈、安井知得仙知などと互角に戦い鬼因徹と呼ばれた。
服部正徹
(故人)
山羊座
服部 正徹(はっとり しょうてつ、文政2年(1819年) - 万延元年(1860年)は、江戸時代の囲碁棋士。尾張国生まれ、十一世井上幻庵因碩門下、七段。元の姓は加藤、井上家外家の服部家三世として御城碁2局を勤めた。一時服部一に改名。
服部雄節
(故人)
山羊座
服部 雄節(はっとり ゆうせつ、享和2年(1802年) - 天保13年1月29日(1842年3月10日))は、江戸時代の囲碁棋士。安井知得仙知門下、服部因淑を継いで服部家二世となった。元の名は黒川立卓。七段。御城碁6局を務めた。
林因長門入
(故人)
山羊座
林因長門入(はやし いんちょうもんにゅう、元禄3年(1690年) - 延享2年11月2日(1745年11月24日))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元林家の五世林門入。土佐国生れ、本因坊道知門下、八段準名人。元の名は井家道蔵で、元土佐藩家臣。
林玄悦門入
(故人)
山羊座
林玄悦門入(はやし げんえつもんにゅう、1678年(延宝6年) - 1719年12月27日(享保4年11月17日))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元林家の三世林門入。二世林門入の長子で、幼名は長太郎、五段。退隠後に玄悦を名乗る。
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