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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
井上春達因碩
(故人)
山羊座
井上春達因碩(いのうえ しゅんたついんせき、1728年(享保13年) - 1784年(天明4年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家七世井上因碩(相続時は六世、世系書き換え後は七世)。元の名は岡田春達。常陸国出身、井上春碩因碩門下、七段上手。
井上節山因碩
(故人)
山羊座
井上節山因碩(いのうえ せつざんいんせき、文政3年(1820年) - 安政3年(1856年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の十二世井上因碩、六段。隠居後の号である節山を付けて、井上家代々と区別する。井上幻庵因碩門下。
井上道砂因碩
(故人)
山羊座
井上道砂因碩(いのうえ どうさいんせき、1649年(慶安2年) - 1697年(元禄10年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家三世井上因碩(相続時は二世、後に家系書き換えで三世)、石見国(現・島根県大田市)出身、本因坊道悦門下、上手。
井上道節因碩
(故人)
山羊座
井上 道節因碩(いのうえ どうせついんせき、1646年(正保3年) - 1720年1月16日(享保4年12月7日))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の四世井上因碩、五世名人碁所。元の名は桑原道節で、井上道節因碩、名人因碩と呼ぶ。
太田雄蔵
(故人)
山羊座
太田 雄蔵(おおた ゆうぞう、文化4年(1807年) - 安政3年3月20日(1856年4月24日))は、江戸時代の囲碁棋士。江戸生まれ、安井門下、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。幼名は川原卯之助、後に良輔、その後太田姓を名乗り、雄蔵とした。号は一石庵爛柯。
岡田頼母
(故人)
山羊座
岡田 頼母(おかだ たのぼ、宝暦13年(1763年) - 天保7年(1836年))は、浜田藩の在国家老。諱を元善。囲碁では安井家門人(二段)でもあった。
奥貫智策
(故人)
山羊座
奥貫 智策(おくぬき ちさく、天明6年(1786年) - 文化9年9月27日(1812年10月31日))は、囲碁の棋士。武州出身、十一世本因坊元丈門下、五段。知策と書かれることもある。本因坊家跡目と目されたが、27歳で夭逝した。
小澤三五郎
小澤 三五郎(おざわ さんごろう、生没年不詳)は、江戸時代末の囲碁棋士。江戸生まれ、本因坊秀和門下、六段。初めの名は小澤金太郎。村瀬弥吉(本因坊秀甫)の弟弟子にあたり、2、3歳年下と見られる。
片山知的
(故人)
山羊座
片山 知的(かたやま ちてき、生年不詳 - 嘉永3年(1850年)頃)は、江戸時代の山形藩士で囲碁棋士。秋元但馬守家臣で、安井知得仙知門下、六段。江戸詰めで浜町に住し、文化13年(1816年)に四段に進み、後六段となる。長坂猪之助、関山仙太夫とともに武家三強とも呼ばれる。
岸本左一郎
(故人)
山羊座
岸本 左一郎(きしもと さいちろう、1822年(文政5年) - 1858年(安政5年))は、江戸時代の囲碁棋士。石見国大森生まれ、本因坊丈和門下、追贈七段。橘堂の号もある。
熊谷本碩
熊谷 本碩(くまがい ほんせき、生没年不詳)は、江戸時代の囲碁棋士。武州熊谷出身。本因坊道策門下の五弟子と称される一人。上手格。23歳で夭逝と伝えられる。経歴については伝わっていない。
河野元虎
(故人)
山羊座
河野 元虎(こうの もととら、1761年(宝暦11年) - 寛政7年8月26日(1795年10月8日))は、江戸時代の囲碁棋士、大阪生まれ、本因坊察元門下、五段。幼名は虎之助。10世本因坊烈元の跡目候補として御城碁にも出仕したが、夭逝する。
小松快禅
小松 快禅(こまつ かいぜん、快全、生没年不詳)は、江戸時代の僧で、素人碁打ち。加賀国能美郡小松に生まれ、その後江戸の増上寺に所化、宝暦から安永頃に囲碁の強豪として名を馳せた。五段。快禅の大塗りと呼ばれるハメ手の棋譜で有名。
坂口仙徳
(故人)
山羊座
坂口 仙徳(さかぐち せんとく、元文3年(1738年、推定) - 天明3年11月30日(1783年12月23日))は、江戸時代の囲碁棋士。武蔵国生まれ、五世安井春哲仙角門下、六段。家元安井家の外家坂口家を興し、御城碁にも出仕した。七世安井仙角仙知は実子。
阪口仙得
(故人)
山羊座
阪口 仙得(さかぐち せんとく、享和元年(1801年) - 慶応3年(1867年)推定)は、江戸時代の囲碁棋士。安井仙角仙知門下、家元安井家の外家坂口家三世、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。元の名は荻野虎次郎。
桜井知達
(故人)
山羊座
桜井 知達(さくらい ちたつ、寛政9年(1797年) - 文化11年(1814年))は、江戸時代の囲碁棋士。七世安井仙角仙知門下。本因坊丈和、井上幻庵因碩と角逐するが、18歳で夭逝。本因坊丈和は10歳年長で、丈和が22歳の文化6年(1809年)から先番での棋譜が残されている。
四宮米蔵
(故人)
山羊座
四宮 米蔵(しのみや よねぞう、1769年(明和6年) - 1835年(天保6年)は、囲碁の棋士。淡路国津名郡上畑村(現兵庫県淡路市木曽上畑)出身。賭碁師として全国を遍歴し、阿波の米蔵の名を馳せた。後に本因坊門下、四段。晩年は一生軒無案を号す。
渋川春海
(故人)
山羊座
渋川 春海(しぶかわ はるみ / しぶかわ しゅんかい、、寛永16年閏11月3日〈1639年12月27日〉- 正徳5年10月6日〈1715年11月1日〉)は、江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。
鈴木知清
鈴木 知清(すずき ちせい、生年不詳 - 1835年(天保6年)10月)は、江戸時代の囲碁棋士。尾張国生まれ、安井家門下、六段。父鈴木順清に次いで尾張藩碁所を勤める。奥貫智策との百一番の対局を「對手百談」として刊行。
関山仙太夫
(故人)
山羊座
関山 仙太夫(せきやま せんだゆう、天明4年(1784年) - 安政6年(1859年))は、江戸時代の囲碁棋士、信濃国松代藩士で真田幸貫家臣。本因坊烈元門下、五段格とも七段格とも言われ、素人日本一と称される。晩年の本因坊秀策との二十番碁は著名。
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