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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
後白河院京極局
(843歳)
牡羊座
後白河院京極局(ごしらかわいんきょうごくのつぼね、生年不詳 - 治承5年閏2月24日(1181年4月9日)は、平安時代の女房・歌人。藤原俊成の娘で母は藤原為忠の娘(寂念・寂超・寂然の姉妹)。藤原定家の異母姉にあたる。実名不詳。
後鳥羽院下野
後鳥羽院下野(ごとばのいんのしもつけ、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。日吉社小比叡禰宜祝部允仲の娘。源家長の妻。源家清、藻璧門院但馬の母。信濃とも呼ばれた。
後深草院少将内侍
後深草院少将内侍(ごふかくさのいんのしょうしょうないし、生年不詳 - 1265年(文永2年)頃没)は、鎌倉時代初期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将、弁内侍の妹。花山源氏の資光王の妻。
後堀河院民部卿典侍
後堀河院民部卿典侍(ごほりかわいんのみんぶきょうのすけ、1195年(建久6年)- 没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。藤原定家の娘、藤原因子(ふじわらのいんし/よるこ)。母は藤原実宗の娘。
実材母
実材母(さねきのはは、生没年不詳(建保年間〜正応年間か)は、鎌倉時代の女流歌人。『権中納言実材卿母集』の作者。西園寺公経の五男実材を産んだことからこの名で呼ばれる。また、歌人となった佐分親清の娘達の母でもある。
式乾門院御匣
式乾門院御匣(しきけんもんいんのみくしげ、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人・官僚。女房三十六歌仙の一人。太政大臣久我通光の娘。安嘉門院三条とも呼ばれた。また、如月の法名で呼ばれ、嘉元2年(1304年)に没した通光の娘と同一人物とも言われる。
七条院権大夫
七条院権大夫(しちじょういんのごんのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。左京権大夫藤原光綱の娘。母は能書家で知られる藤原伊行の娘。建礼門院右京大夫の姪にあたる。
七条院大納言
七条院大納言(しちじょういんのだいなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。正三位権中納言三条実綱と三河内侍の間に生まれる。高倉天皇の典侍として出仕したとする説があるが、典侍であったのは姉妹であり、当人ではないと見られる。
順徳院兵衛内侍
順徳院兵衛内侍(じゅんとくいんのひょうえのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。似せ絵の名手として知られた藤原隆信の娘。中山忠定の妻。
藻璧門院少将
藻璧門院少将(そうへきもんいんの しょうしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した女流歌人。新三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人。勅撰歌人・藤原信実の次女。弁内侍(後深草院弁内侍)と後深草院少将内侍の姉にあたる。
藻璧門院但馬
藻璧門院但馬(そうへきもんいんのたじま、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。父は『新古今和歌集』時代の和歌所開闔(かいこう)でもある勅撰歌人の源家長、母はやはり勅撰歌人の後鳥羽院下野。
平親清女・平親清女妹・平親清四女・平親清五女
鎌倉時代中期の武士・歌人であった佐分親清(平親清)には、歌人として活躍した複数の娘がいたことが知られているが、文献により呼び名が異なり各々の詳細な伝記も明らかではないことから、それらの間の同定も人数の確定も困難である。本項目では、該当する複数の歌人をまとめて記述する。
内裏相模
内裏相模(だいりさがみ、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。
鷹司院按察
鷹司院按察(たかつかさいんのあぜち、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。後鳥羽院側近として承久の乱により処刑された葉室光親の娘。葉室光俊(真観)や定嗣は、異母兄弟。兵衛督(ひょうえのかみ)とも呼ばれた。
土御門院小宰相
土御門院小宰相(つちみかどのいんのこさいしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。従二位藤原家隆の娘。藤原隆祐の姉妹(どちらが年長かは不明)。承明門院小宰相とも呼ばれた。
八条院高倉
八条院高倉(はちじょうのいんのたかくら、生没年不詳:1176年(安元2年)頃 - 1248年(宝治2年)以後 1251年(建長3年)以前)は、鎌倉時代初期の女流歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。藤原南家貞嗣流、藤原通憲(信西)の孫で安居院法印澄憲の娘。
藤原俊成女
藤原俊成女(ふじわら-の-としなり/しゅんぜい-の-むすめ、生没年不詳:1171年(承安元年)頃 - 1251年(建長3年)以後)は、鎌倉時代前期の女流歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。実父は藤原北家末茂流(善勝寺流)出身の尾張守藤原盛頼。実母は藤原俊成の娘、八条院三条。
弁内侍
弁内侍(べんのないし、辨內侍、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいんの べんのないし)とも呼ばれた。
島津忠景
島津 忠景(しまづ ただかげ)は、鎌倉時代中期の武将・歌人。鎌倉幕府御家人。薩摩国知覧院(現在の鹿児島県南九州市)地頭。但馬国朝来郡粟鹿大社(規模100町)地頭(「弘安5年(1285年)但馬国大田文」・『兵庫県史』所収)。
道元
(故人)
水瓶座
道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月26日)- 建長5年8月28日(1253年9月29日))は、鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖。晩年には、希玄(きげん)という異称も用いた。宗門では高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と尊称される。
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