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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
麻績王
麻績王(おみのおう、生没年不詳)は、7世紀末の皇族。麻続王、麻積王とも称される。出自をめぐって大友皇子(天智天皇の太子)、美努王(橘諸兄の父)、柿本人麻呂など諸説ある。また、年代的に無理があるが、聖武天皇の別名ともいわれる。
葛城王 (天武朝の人)
葛城王(かずらきのおおきみ、? - 天武天皇8年(679年)7月17日 )は、7世紀の日本の皇族。天武天皇8年(679年)7月17日に四位で死んだことが『日本書紀』によって知られる。父母、子孫とも不明だが、敏達天皇の子で同名の葛城王の子孫かとする説がある。
葛野王
葛野王(かどののおう/かどののおおきみ)は、弘文天皇(大友皇子)の第一皇子。淡海三船の祖父にあたる。官位は正四位上・式部卿。
百済王 (皇族)
百済王(くだらのおおきみ / くだらのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。百済親王とも記される。敏達天皇の孫。父は押坂彦人大兄皇子と推定される。
来目皇子
来目 皇子(くめのみこ、生年不詳 - 推古天皇11年2月4日(603年3月25日))は、飛鳥時代の皇族。久米王とも。用明天皇の子。
栗隈王
栗隈王(くりくまのおおきみ)は、敏達天皇の孫(曾孫か)、難波皇子の子(孫か)、美努王の父で橘諸兄の祖父にあたる。橘氏の祖である。筑紫率(筑紫大宰)として唐と新羅の使者を送迎し、672年の壬申の乱では外国への備えを理由に中立を保った。675年に兵政官長。贈従二位。
高坂王
高坂王(たかさかのおおきみ、たかさかおう、生年不詳 - 天武天皇12年6月6日(683年7月5日))は、日本の飛鳥時代の皇族。系譜は明らかでない。672年の壬申の乱ではじめ大友皇子の側についたが、敗れて大海人皇子(天武天皇)に従った。
高市皇子
高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)は、天武天皇の皇子(長男)、母は宗形徳善の娘、尼子娘。壬申の乱では近江大津京を脱出して父に合流し、美濃国不破で軍事の全権を委ねられ活躍した。持統天皇の即位後は太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。
広瀬王
広瀬王(ひろせおう、生年不詳 - 養老6年1月28日(722年2月18日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。名は広湍王とも記される。敏達天皇の孫で、春日皇子の子。官位は正四位下・大蔵卿。
古人大兄皇子
古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ、生年不詳 - 大化元年9月12日(645年10月7日))は、飛鳥時代の皇族。舒明天皇の第一皇子。母は蘇我馬子の娘・蘇我法提郎女(ほほてのいらつめ)で大臣・蘇我蝦夷の妹に当たる。娘は倭姫王(天智天皇の皇后)。
火焔皇子
火焔皇子(ほのおおうじ・ほのおのみこ。生没年不詳)は飛鳥時代の皇族。『古事記』では火穂王(ほのほのみこ)、他に火焔王・火焔親王とも。摂津に住んだと伝わり、摂津名所図会によると、墓所は現在の伊丹市にあったとされるが、大阪国際空港の敷地となり、墓は現存しない。
茨田皇子
茨田 皇子(まんだ の みこ、敏達天皇7年(579年) - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、飛鳥時代の皇族。用明天皇の第六皇子。母は欽明天皇の皇女・皇后穴穂部間人皇女。聖徳太子の同母弟。上宮王家襲撃事件で山背大兄王らとともに自害したとされる。
美努王
美努王(みぬおう/みのおう)は、敏達天皇の後裔で、四位・栗隈王の子。官位は従四位下・治部卿。表記については『六国史』にて弥努王・美奴王・美弩王・三野王など様々な記載がされており、人物比定にも問題がある。
宅部皇子
宅部皇子(やかべのみこ、生年不詳 - 用明天皇2年6月8日(587年7月18日))は、飛鳥時代の皇族。宣化天皇の皇子。皇女に上女王がいる。
山背大兄王
110cm
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳 - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』によれば厩戸皇子(聖徳太子)の子。母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこのいらつめ)で、大臣・蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。
山部王
山部王(やまべおう/やまべ の おおきみ、生年不詳 - 天武天皇元年7月2日?(672年7月31日?))は、日本の飛鳥時代の皇族である。系譜は明らかでない。天武天皇元年(672年)の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)の将となったが、味方の蘇我果安、巨勢比等(巨勢人)に殺された。
稚狭王
稚狭王(わかさのおおきみ、生年不明 - 天武天皇7年(678年)9月)は、日本の飛鳥時代の皇族。672年の壬申の乱のとき倭京にいて、大伴吹負の指揮権奪取に遭い、大海人皇子(天武天皇)に従った。三位。
衣縫王
衣縫王(きぬぬいのおおきみ、生年不詳 - 慶雲4年11月24日(707年12月22日))は、飛鳥時代の皇族。殖栗皇子の後裔。官位は従四位下・弾正尹。
箭田珠勝大兄皇子
箭田珠勝大兄皇子(やた の たまかつ の おおえ の みこ、生年不詳 - 欽明天皇13年4月(552年))は、飛鳥時代の皇族。『古事記』では八田王。欽明天皇の第一皇子で、母は宣化天皇の皇女・石姫皇女。敏達天皇の同母兄。
舎人王
舎人王(とねり の おおきみ/とねりおう、生年不明 - 天武天皇9年7月26日(680年)は、飛鳥時代の皇族。官位は五位、納言兼宮内卿。
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