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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
式乾門院御匣
式乾門院御匣(しきけんもんいんのみくしげ、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人・官僚。女房三十六歌仙の一人。太政大臣久我通光の娘。安嘉門院三条とも呼ばれた。また、如月の法名で呼ばれ、嘉元2年(1304年)に没した通光の娘と同一人物とも言われる。
七条院権大夫
七条院権大夫(しちじょういんのごんのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。左京権大夫藤原光綱の娘。母は能書家で知られる藤原伊行の娘。建礼門院右京大夫の姪にあたる。
七条院大納言
七条院大納言(しちじょういんのだいなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。正三位権中納言三条実綱と三河内侍の間に生まれる。高倉天皇の典侍として出仕したとする説があるが、典侍であったのは姉妹であり、当人ではないと見られる。
順徳院兵衛内侍
順徳院兵衛内侍(じゅんとくいんのひょうえのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。似せ絵の名手として知られた藤原隆信の娘。中山忠定の妻。
藻璧門院少将
藻璧門院少将(そうへきもんいんの しょうしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した女流歌人。新三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人。勅撰歌人・藤原信実の次女。弁内侍(後深草院弁内侍)と後深草院少将内侍の姉にあたる。
藻璧門院但馬
藻璧門院但馬(そうへきもんいんのたじま、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。父は『新古今和歌集』時代の和歌所開闔(かいこう)でもある勅撰歌人の源家長、母はやはり勅撰歌人の後鳥羽院下野。
内裏相模
内裏相模(だいりさがみ、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。
鷹司院按察
鷹司院按察(たかつかさいんのあぜち、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。後鳥羽院側近として承久の乱により処刑された葉室光親の娘。葉室光俊(真観)や定嗣は、異母兄弟。兵衛督(ひょうえのかみ)とも呼ばれた。
土御門院小宰相
土御門院小宰相(つちみかどのいんのこさいしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。従二位藤原家隆の娘。藤原隆祐の姉妹(どちらが年長かは不明)。承明門院小宰相とも呼ばれた。
八条院高倉
八条院高倉(はちじょうのいんのたかくら、生没年不詳:1176年(安元2年)頃 - 1248年(宝治2年)以後 1251年(建長3年)以前)は、鎌倉時代初期の女流歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。藤原南家貞嗣流、藤原通憲(信西)の孫で安居院法印澄憲の娘。
藤原俊成女
藤原俊成女(ふじわら-の-としなり/しゅんぜい-の-むすめ、生没年不詳:1171年(承安元年)頃 - 1251年(建長3年)以後)は、鎌倉時代前期の女流歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。実父は藤原北家末茂流(善勝寺流)出身の尾張守藤原盛頼。実母は藤原俊成の娘、八条院三条。
弁内侍
弁内侍(べんのないし、辨內侍、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいんの べんのないし)とも呼ばれた。
島津忠景
島津 忠景(しまづ ただかげ)は、鎌倉時代中期の武将・歌人。鎌倉幕府御家人。薩摩国知覧院(現在の鹿児島県南九州市)地頭。但馬国朝来郡粟鹿大社(規模100町)地頭(「弘安5年(1285年)但馬国大田文」・『兵庫県史』所収)。
道元
(故人)
水瓶座
道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月26日)- 建長5年8月28日(1253年9月29日))は、鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖。晩年には、希玄(きげん)という異称も用いた。宗門では高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と尊称される。
佐々木宗氏
佐々木 宗氏(ささき むねうじ)は、鎌倉時代後期の武士・御家人。佐々木氏支流京極氏4代当主。京極宗氏とも。
源実朝
源 実朝(みなもと の さねとも、)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
東重胤
東 重胤(とう しげたね)は鎌倉時代初期の武将。東胤頼の嫡男。鎌倉幕府3代将軍源実朝の側近。千葉氏の庶流である東氏の二代目に当たる。歌人であった。
津守国冬
津守 国冬(つもり の くにふゆ、)は、鎌倉時代中期から後期にかけての神官・歌人。住吉神社神主・津守国助の子。官位は従四位上・摂津守。国冬も住吉神社神主となった。
仙覚
仙覚(せんがく)は、鎌倉時代初期における天台宗の学問僧。権律師。『万葉集』研究に大きな功績を残した。建仁3年(1203年)生れとする説が有力。没年不詳。文永9年(1272年)、70歳の年まで存命したことは確実であるが、その生涯の伝記的事項には不明な部分が多い。
長井貞広
長井 貞広(ながい さだひろ)は、大江姓長井氏の人物。鎌倉時代と南北朝時代に一人ずついる。
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