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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
藻璧門院少将
藻璧門院少将(そうへきもんいんの しょうしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した女流歌人。新三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人。勅撰歌人・藤原信実の次女。弁内侍(後深草院弁内侍)と後深草院少将内侍の姉にあたる。
藻璧門院但馬
藻璧門院但馬(そうへきもんいんのたじま、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。父は『新古今和歌集』時代の和歌所開闔(かいこう)でもある勅撰歌人の源家長、母はやはり勅撰歌人の後鳥羽院下野。
鷹司院按察
鷹司院按察(たかつかさいんのあぜち、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。後鳥羽院側近として承久の乱により処刑された葉室光親の娘。葉室光俊(真観)や定嗣は、異母兄弟。兵衛督(ひょうえのかみ)とも呼ばれた。
土御門院小宰相
土御門院小宰相(つちみかどのいんのこさいしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。従二位藤原家隆の娘。藤原隆祐の姉妹(どちらが年長かは不明)。承明門院小宰相とも呼ばれた。
八条院高倉
八条院高倉(はちじょうのいんのたかくら、生没年不詳:1176年(安元2年)頃 - 1248年(宝治2年)以後 1251年(建長3年)以前)は、鎌倉時代初期の女流歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。藤原南家貞嗣流、藤原通憲(信西)の孫で安居院法印澄憲の娘。
小式部内侍
小式部内侍(こしきぶ の ないし、長保元年(999年)頃 - 万寿2年(1025年)11月)は、平安時代の女流歌人。掌侍。女房三十六歌仙の一人。父は橘道貞、母は和泉式部。母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。
治部卿局
(793歳)
天秤座
治部卿局(じぶきょうのつぼね、仁平2年(1152年)- 寛喜3年9月11日(1231年10月8日))は、平安時代末期、鎌倉時代前期の女性。武藤頼兼の娘。実名は明子。平知盛の正室。後高倉院(守貞親王)の乳母。子に平知章、平知忠、中納言局。
大弐三位
大弐三位(だいにのさんみ)は、平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙そして百人一首の歌人として知られる。藤原宣孝の娘。母は紫式部。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ / けんし)。
弁乳母
弁乳母(べんのめのと、生没年未詳)は、三条天皇皇女禎子内親王の乳母。本名は藤原明子。父は加賀守藤原順時(魚名流)、母は肥後守紀敦経女。藤原道綱の三男藤原兼経の室であり、讃岐守藤原顕綱の母。
後鳥羽院宮内卿
後鳥羽院宮内卿(ごとばのいんくないきょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。父は右京権大夫源師光(大納言師頼の子)、母は後白河院の女房安芸と言われる。兄に源泰光、源具親がいる。
後深草院二条
後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう、正嘉2年(1258年)- 不詳)は、鎌倉時代中期の女性。『とはずがたり』の作者とされている。没年は嘉元4年(1306年)以後とされる。
鷹司院帥
鷹司院帥(たかつかさいんのそち、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘。共に勅撰歌人である大僧都定円、尚侍家中納言(藤原親子)は兄弟姉妹。鞘堂
尚侍家中納言
尚侍家中納言(ないしのかみけちゅうなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘、藤原親子(ふじわらのちかこ、または、ふじわらのしんし)。共に勅撰歌人である大僧都定円、鷹司院帥は兄弟姉妹。
徽安門院一条
徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう、生没年不詳)は、南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。本名は不詳。正親町公蔭の娘で、母は北条久時の娘。徽安門院寿子内親王(花園天皇皇女・光厳天皇後宮)に仕えて一条局(いちじょうのつぼね)と名乗る。
勾当内侍
勾当内侍(こうとうのないし、生没年不詳)は、南北朝時代の女官。本名は不詳。公家の世尊寺家の一族で、一条経尹あるいは一条行尹の娘、または一条行房の娘もしくは妹ともいう。『太平記』に新田義貞の妻の一人として登場する。__TOC__
兵衛佐局
兵衛佐局(ひょうえのすけのつぼね、生没年未詳)は、平安時代末期の女性。法印・信縁の娘。源行宗(源基平の子、大僧正・行尊の兄)の養女。曽祖父は藤原経季。崇徳天皇の寵妃となり、重仁親王を産んだ。
藤原豊子
藤原 豊子(ふじわら の ほうし(とよこ)、生没年不詳)は平安時代中期の女官。大納言藤原道綱の娘・宰相の君、美作三位。大江清通の妻。子に大江定経がいる。後一条天皇・敦成親王、後朱雀天皇・敦良親王の乳母。従三位典侍。
按察使局伊勢
按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ、生没年不詳)は、平安時代の女性。平時子、建春門院、建礼門院に仕えた。
源簾子
源 簾子(みなもと の れんし/やすこ、生没年不詳)は、平安時代の女性。中宮女房・女官。大納言の君とも。
馬中将
馬中将(うまのちゅうじょう、天元5年(982年) - 没年不詳)は、平安時代の貴族女性、女官。
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