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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
沢田東江
(故人)
山羊座
沢田 東江(さわだ とうこう、享保17年(1732年) - 寛政8年6月15日(1796年7月19日))は、江戸時代の書道家・漢学者・儒学者。洒落本の戯作者。本来は多田姓だったが沢田姓に改める。
篠崎小竹
(故人)
牡牛座
篠崎 小竹(しのざき しょうちく、天明元年4月14日〈1781年5月7日〉 - 嘉永4年5月8日〈1851年6月7日〉)は、江戸時代後期の日本の儒学者・書家。本姓は加藤氏。幼名は金吾、名は弼(たすく)、字は承弼、小竹は号で別号に畏堂・南豊・聶江・退庵・些翁などがある。
曽谷学川
(故人)
山羊座
曽谷 学川(そだに がくせん、元文3年(1738年) - 寛政9年10月20日(1797年12月7日))は、江戸時代中期の篆刻家である。また戯号の醒狂道人 何必醇で著した料理本『豆腐百珍』の著者とされる。
曽根寸斎
(故人)
山羊座
曾禰 寸斎(そね すんさい、 寛政10年(1798年) – 嘉永5年 9月2日(1852年10月14日))は、江戸時代後期の日本の篆刻家である。名は政醇または隼、字を翔卿、号は寸斎の他に印禅居がある。通称定左衛門。本姓は林氏。江戸の人。
館柳湾
(故人)
牡羊座
館 柳湾(たち りゅうわん、宝暦12年3月11日(1762年4月5日) - 天保15年4月13日(1844年5月29日))は、江戸時代後期の日本の漢詩人・書家である。本姓は小山氏、養子となって館を名乗る。名を機、字は枢卿、通称を雄次郎。
田辺玄々
(故人)
山羊座
田辺 玄々(たなべ げんげん、男性、寛政8年(1796年) – 安政5年12月18日(1859年1月21日))は、江戸時代後期の日本の書家・篆刻家である。名は祐憲または憲、字は伯表、号は玄々の他に尚松竹楓園・東田居などがある。通称は飛騨。京都の人。
趙陶斎
(故人)
山羊座
趙 陶斎(ちょう とうさい、正徳3年(1713年) - 天明6年4月20日(1786年5月17日))は、江戸時代中期の書家である。名は養、字を仲頤、号は陶斎、他に息心居士、枸杞園、清嘩閣等がある。長崎生まれ。
都賀庭鐘
(故人)
山羊座
都賀 庭鐘(つが ていしょう、1718年(享保3年)- 1794年(寛政6年)か)は、江戸時代中期の読本作家・儒学者・医師。字は公声、通称は六蔵。別号は大江漁人・近路行者・十千閣主人・近江行者・千里浪子など。
杜俊民
(故人)
山羊座
杜 俊民(と しゅんみん、 宝暦4年(1754年) – 文政3年 8月23日(1820年9月29日))は、江戸時代中期から後期の日本の篆刻家である。本姓は森嶋氏。字は用章、号に石斎・南畝等がある。通称嘉四郎または千吾。伊勢の人。
杜澂
(故人)
山羊座
杜 澂(と ちょう、寛延元年(1748年) – 文化13年(1816年)5月13日)は、日本の南画家・篆刻家・出版家である。中江姓。字を澂公・師叔、号に松窠・華亭・看雲子・五適・琴史・陶古・真賞斎(塾名)などがある。京都の人。
富取益斎
(故人)
牡羊座
富取 益斎(とみとり えきさい、男性、生年不詳 – 文政5年2月10日(1822年4月1日))は、江戸時代中期の日本の篆刻家である。本姓は富取氏。名鴻、字を公範、益斎は号。富益斎と中国風に修され、また益斎富鴻と称されることもある。越後の人。
中田粲堂
(故人)
山羊座
中田 粲堂(なかだ さんどう、男性、明和8年(1771年) – 天保3年7月20日(1832年8月15日))は、江戸時代後期の儒者・漢詩人・篆刻家。本姓は藤原氏であったので修して滕と称することもあった。名は正博、字は学古、粲堂は号で別号に二水万竹楼・粋竹・雲湖などがある。
中西石焦
(故人)
山羊座
中西石焦(なかにし せきしょう、 享保18年(1733年) – 文化4年1月21日(1807年2月27日))は、江戸時代中期後期の日本の画家・篆刻家である。名は万(よろず)、字を公世、石焦は 号。通称与一右衛門。中万(なかよろず)と修した。
中村水竹
(故人)
山羊座
中村 水竹(なかむら すいちく、男性、文化3年(1806年) - 明治5年1月6日(1872年2月14日))は、江戸時代末期の日本の篆刻家である。幼名を名霄もしくは天祥、名は元祥、字は爾祥・夢竜、号は水竹の他に酔茗軒。通称は主馬もしくは播磨介。京都の人。
新興蒙所
(故人)
山羊座
新興 蒙所(にいおき もうしょ、男性、貞享4年(1687年) – 宝暦5年11月25日(1755年12月27日))は、江戸時代前期の書家、篆刻家である。篆刻において大坂にて初期浪華派を起した。本姓は菅原姓。はじめ堀蒙園と名乗るが後に新興とした。
貫名菘翁
(故人)
山羊座
貫名 菘翁(ぬきな すうおう、安永7年3月(1778年) - 文久3年5月6日(1863年6月21日))は江戸時代後期の儒学者・書家・文人画家。江戸後期の文人画家の巨匠で、とりわけ書は幕末の三筆として称揚される。姓は吉井、後に家祖の旧姓貫名に復する。名は直知・直友・苞(しげる)。
浜村蔵六 (初世)
(故人)
山羊座
初世 浜村 蔵六(はつせ はまむら ぞうろく、男性、享保20年(1735年) – 寛政6年11月4日(1794年11月26日))は、江戸時代中期の日本の篆刻家である。5代に亙って篆刻家を輩出した浜村家の祖。本姓は橘氏、名を茂喬、字は君樹、蔵六は号。通称浜村六蔵。
浜村蔵六 (二世)
(故人)
山羊座
二世 浜村 蔵六(にせい はまむら ぞうろく、安永元年(1772年) – 文政2年7月18日(1819年9月7日))は日本の篆刻家である。本姓は橘氏、幼名は仙吉。名は参、字は秉徳、号は蔵六のほかに賁斎がある。通称は六蔵。橘秉徳とも称される。江戸の人。
浜村蔵六 (三世)
(故人)
山羊座
三世 浜村 蔵六(さんせい はまむら ぞうろく、男性、寛政3年(1791年) – 天保14年8月18日(1843年9月11日))は、江戸時代後期の日本の篆刻家である。名は籍、字は子収、号は初め南渓、晩年は訥斎・亀禅とした。はじめ小林姓だったが、のち金山を称した。江戸の人。
林十江
(故人)
山羊座
林 十江(はやし じっこう、安永6年12月17日(1778年1月15日) – 文化10年9月19日(1813年10月12日))は、江戸時代中期・後期の日本の南画家・篆刻家である。通称長次郎、名は長羽、字を子翼・雲夫。
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