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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
順如
(541歳)
蟹座
順如(じゅんにょ、嘉吉2年(1442年)- 文明15年5月29日(1483年7月4日))は、室町時代中期から後期にかけての浄土真宗の僧。光善寺住持。本願寺8世法主蓮如の長子。母は伊勢氏庶流とされる伊勢貞房の娘如了。子に光淳室。諱は光助。幼名は光高。
証意
(故人)
山羊座
証意(證意、しょうい、天文6年(1537年) - 元亀2年6月6日(1571年6月28日))は、戦国時代の僧侶。伊勢国長島(現在の三重県桑名市長島町)の願証寺4世。父は3世証恵、母は実淳の娘如栄。子に顕忍。諱を佐玄(佐元)。
証恵
(故人)
山羊座
証恵(しょうえ・證慧、永正13年(1516年)- 永禄7年1月1日(1564年2月13日))は、戦国時代の僧侶。伊勢国長島(現在の三重県桑名市長島町)の願証寺3世。父は2世実恵、母は大和願行寺1世勝恵の娘・藤向。妻は実淳の娘如栄。子に証意。諱を教幸。通称を兵衛督。
乗如
乗如(じょうにょ、乘如)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。東本願寺第十九代法主 。
常如
常如(じょうにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺第十五代法主 。
証如
証如(しょうにょ、證如)は、戦国時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第10世宗主・真宗大谷派第10代門首。山科本願寺、大坂本願寺住職。諱は光教。院号は信受院。法印権僧正。父は円如。本願寺第8世蓮如の曾孫。九条尚経の猶子。正室は庭田重親の娘・顕能尼。第11世顕如は長男。
真如 (東本願寺)
真如(しんにょ、眞如)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。東本願寺第十七代法主 。東本願寺第十六代 一如の甥。
善如
善如(ぜんにょ)は、南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は第3世覚如の次男従覚。第5世綽如は子。
宣如
宣如(せんにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗の僧。真宗大谷派(東本願寺)第13代法主 。
善鸞
善鸞(ぜんらん)は、鎌倉時代中期の浄土真宗の僧。慈信房と号する。真宗出雲路派は、毫摂寺第二代と位置付けている。
存覚
存覚(ぞんかく)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての浄土真宗の僧である。父は覚如、母は僧教仏の娘播磨の局、弟は従覚。常楽寺 (下京区)初代。錦織寺四代。
存如
存如(ぞんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第7世宗主・真宗大谷派第7代門首。大谷本願寺住職。諱は圓兼。法印権大僧都。父は第6世巧如。広橋兼宣の猶子。妻は如円尼。本願寺中興の祖・第8世蓮如は長男。子に蓮照(応玄)。弟に空覚(光崇)、越中国瑞泉寺住持如乗(宣祐)。
琢如
如(たくにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺第十四代法主 。「琢」ではなく、「」の字を用いるのが正式の表記である。学寮(現、大谷大学)の創設、大谷御坊(現、大谷祖廟)の造営と活躍した。__TOC__
達如
達如(たつにょ、逹如)は、江戸時代後期の浄土真宗の僧。東本願寺第二十代法主 。
湛如
湛如(たんにょ)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第16世宗主。西本願寺住職。諱は光啓。院号は信曉院。法印大僧正。父は第14世寂如。養父は第15世住如。九条輔実の猶子。母は竹中氏。室は閑院宮直仁親王の長女・始宮(治子女王)。弟は静如。第17世法如は従兄弟。
如信
如信(にょしん)は、鎌倉時代中期から後期にかけての浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第2世宗主・真宗大谷派第2代門首・真宗木辺派第2代法主。善鸞の子で親鸞の孫。浄如の父。歿後、従子の覚如により本願寺第2世に位置づけられる。本願寺宗主・御歴代のうち、唯一、諱が伝わっていない。
宝寿院祐心尼
(故人)
山羊座
宝寿院祐心尼(ほうじゅいん ゆうしんに、永禄8年(1565年) - 元和2年1月2日(1616年)は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての女性。諱は為子。権中納言冷泉為益の三女。初め誠仁親王の女房となり、典侍局と称する。後に興正寺第17世顕尊の内室となる。
法如
法如(ほうにょ)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第17世宗主。西本願寺住職。諱は光闡。院号は信慧院。法印大僧正。父は第13世良如の10男寂円。九条稙基の猶子。母は円成院(法寿)。妻は如教(誠心院)。第18世文如は長男。子は顕証寺住職闡教、法依。
本如
本如(ほんにょ)は、江戸時代中期から後期の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第19世宗主。西本願寺住職。諱は光摂。院号は信明院。法印大僧正。父は第18世文如。九条尚実の猶子。室は二条治孝の息女・誠。河内国顕証寺住職文淳は弟。第20世広如は養子で文淳の次男。
文如
文如(もんにょ)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第18世宗主。西本願寺住職。諱は光暉。院号は信入院。法印大僧正。父は第17世法如。九条尚実の猶子。室は二条宗基の息女・五千。第19世本如は次男。河内国顕証寺住職文淳は三男。弟は顕証寺闡教。
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