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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
片岡仁左衛門 (7代目)
(故人)
山羊座
七代目 片岡仁左衛門(しちだいめ かたおか にざえもん、宝暦5年〈1755年〉 - 天保8年3月1日〈1837年4月5日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけての歌舞伎役者。屋号は松嶋屋、俳名は我童・萬麿・梅里。定紋は七つ割丸に二引。雅号は南麗舎。
嵐璃寛 (4代目)
(故人)
山羊座
四代目 嵐璃寛(よだいめ あらし りかん、天保8年〈1837年〉 - 明治27年〈1894年〉5月21日)とは、幕末から明治にかけての上方の歌舞伎役者。屋号は葉村屋、定紋は三つ橘。本名淺川 璃寛(あさかわ りかん)。
菅原通済
(故人)
水瓶座
菅原 通済(すがわら つうさい、1894年〈明治27年〉2月16日 - 1981年〈昭和56年〉6月13日)は、日本の実業家。フィクサーとしても有名。名は通濟とも書く。本名は名の読みが(みちなり)。
浅尾工左衛門 (初代)
(故人)
山羊座
初代 浅尾工左衛門(しょだい あさお くざえもん、宝暦8年〈1758年〉 - 文政7年8月22日〈1824年9月14日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけて活躍した上方の歌舞伎役者。屋号は金田屋、俳名は鬼丸・鬼玉。紋は丸に工の字。
二代目浅尾為十郎
(故人)
山羊座
二代目浅尾為十郎(にだいめ あさお ためじゅうろう)安永8(1779年(安永8年) - 1806年(文化3年)7月25日)は、江戸後期の上方の歌舞伎役者。俳名、山子・奥山。屋号、銭屋。初代浅尾為十郎の子、1791年(寛政3年)、13歳で浅尾奥次郎と名乗り、若年ながら座元となる。
嵐小六 (5代目)
(故人)
山羊座
五代目 嵐 小六(ごだいめ あらし ころく、生年不詳 - 安政5年〈1858年〉8月)とは、江戸時代後期に上方や江戸で活躍した歌舞伎役者。俳名は珉子、屋号は吉田屋。初代嵐雛助の五男として生まれる。叶八十次郎の名で上方の舞台で活躍。
嵐橘三郎 (初代)
(故人)
山羊座
三つ吉三つ柏初代 嵐橘三郎(しょだい あらし きつさぶろう、明和6年〈1769年〉 - 文政4年9月26日〈1821年10月21日〉)とは、江戸時代中期の歌舞伎役者。俳名李冠、のちに「璃寛」と字を改む。屋号は岡嶋屋、雅号金橘楼。定紋は三つ吉、替紋は三つ柏。
嵐璃寛 (2代目)
春江斎北英画。二代目 嵐璃寛(にだいめ あらし りかん、天明8年〈1788年〉 - 天保8年6月13日〈1837年7月15日〉)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号は伊丹屋、俳名は里鶴・玉山・璃珏。
嵐璃寛 (3代目)
三代目歌川豊国画。三代目 嵐璃寛(さんだいめ あらし りかん、文化9年〈1812年〉 - 文久3年4月21日〈1863年6月7日〉)とは、江戸時代後期の大坂の歌舞伎役者。俳名は巌獅・橘蝶、屋号は葉村屋。
市川市蔵 (3代目)
(故人)
山羊座
三代目 市川市蔵(さんだいめ いちかわいちぞう、1833年(天保4年) - 1865年(慶応元年)3月2日)は、幕末期の上方の歌舞伎役者。俳名蝶升、屋号播磨屋。紋、三升。幕末期から明治にかけての上方劇壇の名優二代目尾上多見蔵の二男として生まれる。
市川鰕十郎 (初代)
(故人)
山羊座
市川 鰕十郎(いちかわ えびじゅうろう、安永6年〈1777年〉 - 文政10年7月16日〈1827年9月6日〉)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号は播磨屋、俳名は市鶴、新升。文政3年(1820年)5月河原崎座の『双蝶々曲輪日記』濡髪の長五郎。歌川豊国画の団扇絵。
市川鰕十郎 (2代目)
(故人)
山羊座
市川 鰕十郎(いちかわ えびじゅうろう、1806年(文化3年) - 1829年12月19日(文政12年11月24日))は江戸時代後期の上方の歌舞伎役者。屋号は播磨屋、俳名は新升。戯画堂芦幸画「腕ノ次郎兵衛」
市川團蔵 (4代目)
(故人)
山羊座
四代目 市川團蔵(よだいめ いちかわ だんぞう、延享2年〈1745年〉 - 文化5年10月9日〈1808年11月26日〉)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号は三河屋、俳名は二紅。
市川團蔵 (5代目)
(故人)
山羊座
市川 團藏(いちかわ だんぞう、新字体:団蔵、天明8年(1788年)9月 - 弘化2年6月6日(1845年7月10日))は、江戸の歌舞伎役者。屋号は三河屋。俳名に千升、紅山、市紅など。その渋い芸から澁團(渋団)と呼ばれた。
市川團之助 (3代目)
(故人)
山羊座
市川團之助(いちかわ だんのすけ、天明6年〈1786年〉 - 文化14年11月2日〈1817年12月9日〉)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号は三河屋、俳名は三紅。
市川八百蔵 (4代目)
(故人)
山羊座
市川八百蔵(いちかわ やおぞう、安永元年〈1772年〉 - 弘化1年7月3日〈1844年8月16日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。俳名は扇蝶・中車、屋号は江戸屋・立花屋。舞踊藤間流の家元初代藤間勘十郎の弟。
市村羽左衛門 (12代目)
十二代目市村羽左衛門の大江いなばの助。天保6年(1835年)2月市村座の『梅初春五十三駅』より。歌川国芳画。
岩井半四郎 (7代目)
三代目歌川豊国画。七代目 岩井半四郎(しちだいめ いわい はんしろう、文化元年〈1804年〉 - 弘化2年4月1日〈1845年5月6日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は大和屋、俳名は扇朝・紫若。紋は扇子。
岩井半四郎 (6代目)
(故人)
山羊座
六代目 岩井半四郎(ろくだいめ いわい はんしろう、寛政10年〈1798年〉 - 天保7年4月8日〈1836年5月22日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は大和屋、俳名は袖歌・梅我。
大谷廣次 (5代目)
(故人)
山羊座
五代目 大谷廣次(ごだいめ おおたに ひろじ、天保4年〈1833年〉 - 明治6年〈1873年〉2月1日)とは、幕末から明治初めにかけての歌舞伎役者。屋号明石屋、俳名は紫道、紫友、十町。定紋は丸十。
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