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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
出羽弁
出羽弁(でわのべん/いでわのべん、出羽辨、寛弘4年(1007年)頃? - 没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。父は出羽守平季信、あるいは加賀守平秀信。一条天皇の中宮藤原彰子(上東門院)、その妹で後一条天皇の中宮藤原威子、さらにその所生の章子内親王に仕えた。
二条院讃岐
二条院讃岐(にじょういんのさぬき、生没年不詳:永治元年(1141年)頃 - 建保5年(1217年)以降)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は源頼政、母は源斉頼の娘。同母兄に源仲綱があり、従姉妹に宜秋門院丹後がある。
二条院三河内侍
二条院三河内侍(にじょういんのみかわのないし 、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女流歌人。伊賀入道寂念こと加賀守藤原為業の娘(為業の子範玄の娘とも)。三条実綱との間に七条院大納言、従五位下侍従三条公仲を産んでいる。女御家兵衛佐とも呼ばれた。
女房三十六歌仙
女房三十六歌仙(にょうぼうさんじゅうろっかせん)は、日本の鎌倉中期に成立した『女房三十六人歌合』に歌を採られた女性歌人三十六人を指す。
花園左大臣家小大進
花園左大臣家小大進(はなぞのさだいじんけのこだいしん、生没年不詳)は、平安時代後期の女流歌人。式部大輔・菅原在良の娘。母は三宮大進。石清水別当光清の妻。小侍従と石清水別当成清の母。三宮小大進、内大臣家小大進とも呼ばれる。
檜垣嫗
檜垣嫗(桧垣媼、ひがきのおうな)は、生没年不詳、平安時代中期(10世紀)の女性歌人。様々な伝説に包まれ、その正体は詳らかでない。『檜垣嫗集』は、歌物語風に仕立てられた家集である。ただし、檜垣の歌と認められているものは3首のみであり、同書は後人による仮託の書であることが定説となっている。
堀河院中宮上総
堀河院中宮上総(ほりかわのいんのちゅうぐうのかずさ、生没年不詳)は、平安時代後期の女流歌人。
待宵の小侍従
待宵の小侍従(まつよいのこじじゅう)として知られる。『源平盛衰記』では、高倉天皇の在位中は阿波の局と名乗っていたとする。
源顕雅母
源顕雅母(みなもとのあきまさのはは、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。右大臣源顕房の側室。藤原北家良門流・藤原兼輔の後裔で、信濃守藤原伊綱の娘。兄弟に藤原伊季・藤原有忠・仁季(延暦寺)・慶幸がいた。『金葉和歌集』(二度本・歌番号589)に和歌が1首入集する勅撰歌人。
源兼俊母
源兼俊母(みなもと の かねとし の はは、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。筑前守高階成順の娘。母は伊勢大輔。姉妹に康資王母・筑前乳母らがいた。宇多源氏の源経宗の室となり、笙・和琴の名手源兼俊を産んだ。彼女自身も『後拾遺和歌集』に2首入集する歌人だった。
源久曾
源 久曾(みなもと の くそ、生没年不詳)は、平安時代前期の女流歌人。名は屎とも表記される。姓は源朝臣であるが詳しい系譜は不明。詳しい経歴は不明だが、『古今和歌集』に誹諧歌が1首入る。*古今和歌集(歌番号1054)
大和宣旨
大和 宣旨(やまと の せんじ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。中納言平惟仲の娘。母は藤原忠信女。配偶者は藤原道雅、のち、藤原義忠。藤原妍子に仕えた中宮宣旨(筆頭女房)。後拾遺集に3首選ばれている。
祐子内親王家駿河
祐子内親王家駿河(ゆうしないしんのうけ の するが、生没年未詳)は、平安時代後期の女官・女流歌人。清和源氏満政流。駿河守源忠重の娘。兄弟に定宗、定重らがある。一宮駿河とも呼ばれる。母は美濃国の出身といわれ、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた。
祐子内親王家紀伊
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい、生没年不詳)は、平安時代院政期の日本の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。女房三十六歌仙の一人。一宮紀伊、紀伊君とも呼ばれる。
六条斎院宣旨
(932歳)
牡羊座
六条斎院宣旨(ろくじょうさいいんのせんじ、長保頃 - 寛治6年2月22日(1092年4月1日))は、平安時代後期の歌人・作家。父は源頼国。兄弟に頼弘、頼資、頼実、実国、頼綱、国房、師光らがある。六条斎院(禖子内親王)の宣旨(女房の筆頭格)。
阿仏尼
(741歳)
牡牛座
阿仏尼(あぶつに、阿佛尼, 貞応元年(1222年)? - 弘安6年4月8日(1283年5月6日))は、鎌倉時代中期の女流歌人。女房名は安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)または、右衛門佐(うえもんのすけ)。実父母は不明。
安嘉門院甲斐
安嘉門院甲斐(あんかもんいんのかい、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。「長有朝臣の妹」や葉室光俊の弟定嗣の娘「安嘉門院女房」のこととも言うが不詳。
安嘉門院高倉
安嘉門院高倉(あんかもんいんのたかくら、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人。父は興福寺別当となった法印親縁(源通親の子)とされる。
今出川院近衛
今出川院近衛(いまでがわいんのこのえ、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の女流歌人。今出河院近衛とも表記される。藤原北家師実流大炊御門家庶流の鷹司家の出身で、父は大納言鷹司(藤原)伊平。陰明門院大炊御門麗子(土御門天皇中宮)は大叔母にあたる。
正親町院右京大夫
正親町院右京大夫(おおぎまちいんのうきょうのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。
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