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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
大角与左衛門
大角 与左衛門(おおすみ よざえもん、生没年不詳)は、江戸時代初期、豊臣秀頼の代の大坂城にて台所頭を務めた人物。大道寺友山『駿河土産』において言及され、それを引いた『徳川実紀』にも記述がある。姓は同音の大隅に、与左衛門も与右衛門とする書籍もある。
毛利重能
毛利 重能(もうり しげよし、生没年不詳)は、江戸時代前期の和算家。現在知られている中では最も古い。通称は勘兵衛、官位は出羽守。
明石全登
明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名(名前については下記参照)。宇喜多氏の家臣。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。
上田重安
上田 重安(うえだ しげやす)は、安土桃山時代の武将、大名。江戸時代前期の浅野家の家老。通称は左太郎、主水正。関ヶ原の後に剃髪して宗箇と名乗ったので、上田 宗箇(うえだ そうこ)の名でも知られる。
西尾光教
西尾 光教(にしお みつのり)は、戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。美濃揖斐藩初代藩主。光教の西尾氏の出自は三河であるとも、丹波の籾井氏の一族であるともいう。室町時代に活動していた西尾直教との関係は不明。
浅井井頼
浅井 井頼(あざい いより)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。讃岐丸亀藩客分。近江の戦国大名・浅井長政の庶子。通称は喜八郎、周防守。諱は複数伝わり、政信、政賢・政堅(まさかた)、長春、政資(まさすけ)、長房など。晩年は作庵と号した。
大野治房
大野 治房(おおの はるふさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣氏の家臣。茶人。
小倉行春
小倉 行春(おぐら ゆきはる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。古文書で確認できる実名は良清(よしきよ)、通称は天正19年(1591年)頃には「孫作」と呼ばれていたが、文禄3年(1594年)頃には「作左衛門尉」と呼ばれている。
篠原重之
篠原 重之(しのはら しげゆき)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。兄に木村重成がいる。
建部光重
(故人)
山羊座
建部 光重(たけべ みつしげ、天正6年(1578年) - 慶長15年5月27日(1610年7月17日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。通称は弥作。官途は従五位下、内匠頭。父は建部寿徳(高光)、母は山村甚右衛門娘。室は下間頼龍の娘(池田輝政養女)・有馬則氏の娘(有馬豊氏養女)。
大野治胤
大野 治胤(おおの はるたね)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。豊臣氏の家臣。道犬斎(どうけんさい)の号で知られ、大野道犬とも云う。
水野重央
水野 重央(みずの しげなか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。紀伊新宮藩(紀州藩附家老)初代藩主。水野忠分の三男。官位は従五位下・対馬守。諱は初め重信(しげのぶ)を名乗り、のち重央、次いで重仲(しげなか)に改めたとされる。
玉置永直
玉置 永直(たまき ながなお、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。紀伊国手取城主。初名は小平太。弟に玉置直俊。
柘植正時
(故人)
山羊座
柘植 正時(つげ まさとき、天正12年(1584年) - 寛永19年12月9日(1643年1月28日))は、江戸時代初期の江戸幕府旗本、第14代長崎奉行。柘植正俊の子。母は丹羽氏勝の娘。弟に柘植正勝。先妻は森可政の娘、後妻は比留正吉の娘。子に柘植正直、柘植正弘。通称は三四郎、平右衛門。
渡辺糺
渡辺 糺(わたなべ ただす)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。槍術家。豊臣氏の家臣。通称を内蔵助(くらのすけ)とし、渡辺内蔵助の名の方が知られる。内蔵助流槍術の祖であり、船津流槍術の祖である船津八郎兵衛の師匠。
菅正利
菅 正利(かん まさとし)は、戦国時代から江戸時代の武将、福岡藩士。黒田二十四騎の一人。通称は孫次、後に故あって六之助(ろくのすけ)と改めた。官途は和泉守。諱は忠利(ただとし)であったが、後年、将軍・徳川秀忠の諱を憚って正利と改めた。号は松隠宗泉。
島津義弘 (播磨家)
島津 義弘(しまづ よしひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。播磨島津氏17代当主。
大久保忠為
大久保 忠為(おおくぼ ただため)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、旗本。大久保忠員の六男。通称、彦十郎、権右衛門。兄に大久保忠世や大久保忠佐、弟に大久保忠教らがいる。
徳川義直
徳川 義直(とくがわ よしなお)は、尾張国名古屋藩の初代藩主。御三家のひとつ、尾張徳川家の祖。諱は、はじめ義知・義利と名乗った後、元和7年(1621年)に義直に改名している。字は子敬。極位極官は従二位・権大納言。
徳川頼宣
徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、紀伊国和歌山藩の初代藩主。紀州(紀伊)徳川家の祖。
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