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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
郭再祐
(故人)
山羊座
郭 再祐(日本語読み:かく さいゆう、朝鮮語読み:クアク・ジエウ、1552年 - 1617年)は、文禄・慶長の役時の李氏朝鮮の義兵の大将。本貫は玄風郭氏、字は季綬。
金沔
(故人)
山羊座
金 沔(きん べん、김 면(キム・ミョン)、1541年 - 1593年)は、李氏朝鮮中期の朱子学者、義兵長。本貫は高霊金氏、字は志海、号は松庵。文禄・慶長の役の李氏朝鮮三大義兵長に数えられる。
沙也可
(故人)
山羊座
沙也可(さやか、1571年? - 1642年または1643年)は、文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に渡ったが、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦ったとされる武将。沙也加とも。現代朝鮮語発音ではサヤガとなる。
万世徳
万世徳()は、中国明の軍人であり、朝鮮氏族の江華万氏の始祖である。明の経理使を務めていた時に壬辰倭乱が勃発、明の援軍として李氏朝鮮に派兵された。万世德の先祖は、中国漢の明帝の28将軍の一人であった万脩である。
張海浜
(故人)
山羊座
張海浜(、1547年 - 1657年)は、壬辰倭乱の際の中国明の副将軍。中国浙江省杭州出身。丁酉再乱の際に、游撃将軍呉惟忠の配下として李氏朝鮮に派遣されたが、蔚山城の戦いで左足に銃撃を受ける。明軍が帰還する時にもまだ完治しておらず、帰国することができず、李氏朝鮮に帰化した。
徐鶴
徐鶴()は、壬辰倭乱の際の明軍の武将。中国浙江省出身。祖父は明の礼部を務めた徐海龍である。徐鶴は明軍の都摠管として丁酉再乱の際に、援軍として李氏朝鮮に派遣、戦功を挙げ、その後慶尚北道星州郡に定着した。朝鮮氏族の浙江徐氏の始祖である。
扈俊
扈 俊()は、壬辰倭乱の際の明軍の武将。朝鮮氏族の全州扈氏の始祖。壬辰倭乱の時に明軍の李如松将軍の傘下の副将軍として参戦、数々の戦功を挙げ、朝鮮に帰化した。扈俊の子孫の仲權は李氏朝鮮第26代王高宗の時に大護軍を務めた。
施文用
(故人)
山羊座
施文用(、1572年 - 1623年)は、中国明の武将であり、朝鮮氏族の浙江施氏の始祖である。中国浙江省出身。壬辰倭乱時に、明の游撃将軍藍方威指揮下の行営中軍として参戦、7年間各地で転戦し多くの戦果を挙げたが、戦争で負傷したことから戦争終了後帰国することができなかった。
片碣頌
片碣頌()は、壬辰倭乱の際の中国明軍の武将である。中国明の漁陽摠節使を務めていた時に、丁酉再乱が勃発、経略都督として李氏朝鮮に出兵したが、姦臣の罪により帰国することができず、李氏朝鮮に帰化した。朝鮮氏族の浙江片氏の始祖である。
賈維鑰
賈維鑰()は、中国明の軍人であり、朝鮮氏族の蘇州賈氏の始祖である。賈維鑰は、明の薊遼都察使を務め、壬辰倭乱時に、李氏朝鮮に入国して戦功を挙げた。丁酉再乱の際には、息子の游撃将軍賈祥と孫の兵部従事官賈琛とともに再度李氏朝鮮に入国して戦功を挙げたが、釜山浦海戦で賈祥とともに戦死した。
金誠仁
金誠仁(キン セイジン、日本名:沙汝某、)は、文禄・慶長の役において沙也可と共に朝鮮に投降()した日本の武将である。朝鮮の氏族の咸博金氏の始祖である。
黄世得
(故人)
山羊座
黄 世得(こう せいとく、ファン・セドゥク、、1537年 - 1598年)は、李氏朝鮮の武将、朝鮮氏族の星州黄氏の始祖である。字は士求。稷山(現・忠清南道天安市)出身。
祖承訓
祖 承訓(そ しょうくん 生没年不詳)は中国明代の武将。文禄・慶長の役に明の朝鮮援兵の将として最初に参戦した。
陳璘
(故人)
山羊座
陳 璘(ちん りん、嘉靖22年(1543年) - 万暦35年5月8日(1607年6月2日))は、中国明代の武将。数度にわたる平民反乱の平定に功があり、明朝廷に重用された。慶長の役に明水軍の主将(総兵)として参戦した。
董一元
董 一元(とう いちげん、生没年不詳)は、明代の軍人。本貫は宣府前衛。
鄧子龍
(故人)
山羊座
鄧 子龍(とう しりゅう、嘉靖10年(1531年) - 万暦26年11月19日(1598年12月16日))は、中国明代の武将。字は武橋。本貫は南昌府豊城県。慶長の役において、明の朝鮮援兵の水軍副総兵として参戦したが、戦死した。
麻貴
麻 貴(ま き、マ・クウイ)は、中国明末期の武将。朝鮮氏族の上谷麻氏の始祖である。
楊元
(故人)
乙女座
楊 元(よう げん、? - 万暦26年8月17日(1598年9月17日))は、明代の武将。文禄・慶長の役に参戦した。
李如松
(故人)
山羊座
李 如松(り じょしょう、嘉靖28年(1549年) - 万暦26年4月4日(1598年5月8日))は、明末の軍人。字は子茂、号は仰城。諡は忠烈。遼東鉄嶺衛の出身。
李如梅
李 如梅(り じょばい、生没年不詳)は、明末の軍人。字は子清。遼東鉄嶺衛の出身。
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