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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
実尊
(788歳)
牡羊座
実尊(じつそん、治承4年(1180年)10月 - 嘉禎2年2月19日(1236年3月27日))は、鎌倉時代前期の法相宗の僧。父は関白松殿基房。兄弟に左大臣隆忠、権中納言家房、摂政師家、天台座主承円、山科僧正行意らがいる。
行意
(806歳)
山羊座
行意(ぎょうい、治承元年(1177年)? - 建保5年11月29日(1217年12月29日))は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての天台宗の僧。父は関白太政大臣藤原基房。兄弟に左大臣隆忠、摂政師家、天台座主承円、興福寺別当実尊などがいる。山科僧正とも称される。新三十六歌仙の一人。
松殿道基
松殿 道基(まつどの みちもと)は、江戸時代前期の公卿。官位は正二位・権大納言。関白九条幸家と豊臣完子の三男で二条康道・九条道房は兄。幼名は千世鶴。江戸幕府3代将軍徳川家光と徳川和子(東福門院)の甥に当たる。
持明院保藤
持明院 保藤(じみょういん やすふじ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。権中納言・持明院基保の養子。官位は正二位・権中納言。
藤原家房
藤原 家房(ふじわら の いえふさ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。関白・松殿基房の子。官位は従二位・権中納言。傍流とされたため「松殿」を名乗らなかった。
藤原隆忠
藤原 隆忠(ふじわら の たかただ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。摂政・松殿基房の長男だが、傍流とされたため、「松殿」は名乗らずに大覚寺左大臣と号した。官位は従一位・左大臣。
藤原基忠 (非参議)
藤原 基忠(ふじわら の たかただ)は、鎌倉時代前期の公卿。左大臣・藤原隆忠の長男。官位は従二位・非参議。
松殿兼嗣
松殿 兼嗣(まつどの かねつぐ)は、鎌倉時代中期の公卿。大納言・松殿忠房の次男。官位は正二位・参議。
松殿忠嗣
松殿 忠嗣(まつどの ただつぐ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正二位参議・松殿通輔の子。官位は正二位・権大納言。『松亜記』の著者。
松殿忠房
松殿 忠房(まつどの ただふさ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。関白・松殿基房の四男。官位は正二位・大納言。
松殿忠冬
松殿 忠冬(まつどの ただふゆ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正二位権中納言・松殿冬房の子。官位は従二位・権中納言。
松殿基房
松殿 基房(まつどの もとふさ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。実名は藤原 基房(ふじわら の もとふさ)。藤原北家、関白・藤原忠通の五男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。松殿家の祖。松殿・菩提院・中山を号す。
松殿師家
松殿 師家(まつどの もろいえ)は、平安時代後期の公卿。関白・松殿基房の三男。官位は正二位・内大臣、摂政。
松殿良嗣
松殿 良嗣(まつどの よしつぐ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。大納言・松殿忠房の長男。官位は正二位・右近衛中将。松殿家4代当主。
藤原伊子
藤原 伊子(ふじわら の いし、仁安2年(1167年)? - 承元元年(1207年)?)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。父は関白・松殿基房。源義仲の正室で、後に源通親の側室となり道元を生んだとされる。位階は従三位。松殿伊子とも記され、冬姫とも伝わる。
松殿基嗣
松殿 基嗣(まつどの もとつぐ、建久3年(1193年) - 没年不明)は、鎌倉時代の公卿。摂政・松殿師家の息子。主な官位は正二位、権大納言。
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