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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
豊原 (大奥女中)
豊原(とよはら、生没年不詳)は、江戸時代前期から中期の大奥女中(御年寄、のち上臈御年寄)。本名は不詳。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉から7代将軍・徳川家継までの3代に渡って仕えた。
文英尼
(故人)
山羊座
文英尼(ぶんえいに、慶長14年(1609年) - 延宝8年(1680年))は、江戸時代初期の女性。父は園基任。はじめ、中和門院(近衛前子)に女官として仕えていた。その後、正室である徳川秀忠の娘・初姫を病気で亡くした京極忠高に後室として嫁いだと思われる。
古市胤子
(故人)
山羊座
古市 胤子(ふるいち たねこ、天正11年(1583年) - 万治元年6月27日(1658年7月27日))は、江戸時代初期の女官。本姓は清原氏。幼名はおちやちや。従三位。
泉萬喜子
(故人)
山羊座
泉亭 萬喜子(いずみてい まきこ、嘉永3年(1850年) - 明治14年(1881年)9月24日)は、久邇宮朝彦親王の女房で、第2代久邇宮邦彦王の生母。泉 萬喜子とも呼ばれる。父は下賀茂神社社家の家系で京都府出身の士族泉亭俊益(叙従二位)。
鴨脚克子
(故人)
山羊座
鴨脚 克子(いちょう かつこ、文化13年2月(1816年) - 明治16年(1883年)10月5日)は、孝明天皇の女官。
勧修寺徳子
(故人)
射手座
勧修寺 徳子(かしゅうじ なりこ、天明8年11月3日(1788年11月30日) - 明治11年(1878年)11月23日)は、江戸時代後期-明治初期にかけての女官。仁孝天皇の典侍。幼名は直、みな。号は、細井、権典侍、督典侍、新中納言典侍、新大典侍、藤大納言、京極。権大納言勧修寺経逸の娘。
五条庸子
(故人)
双子座
五条庸子(ごじょう ようこ、1660年5月27日(万治3年4月19日) - 1683年9月25日(天和3年8月5日))は、江戸時代前期の女官である。霊元天皇の掌侍。正二位権大納言五条為庸の娘。母は右衛門尉南部宣行の娘。
持明院基子
(故人)
水瓶座
持明院 基子(じみょういん もとこ、生年未詳 - 寛永21年1月2日(1644年2月9日))は、江戸時代初期の女性。後陽成天皇の典侍。父は従二位権中納言持明院基孝。初名は孝子。宰相典侍、大納言典侍といわれた。
中山績子
(故人)
牡羊座
中山 績子(なかやま いさこ、寛政7年2月10日(1795年3月30日) - 明治8年(1875年)2月12日)は、江戸時代末期の女官。権大納言中山愛親の娘。幼名は宗姫、初名は美禰、のち愛子。大典侍正三位。『中山績子日記』を著した。
庭田嗣子
(故人)
山羊座
庭田 嗣子(にわた つぐこ、文政3年(1820年) - 慶応3年11月9日(1867年12月4日))は、仁孝天皇の典侍。法名は清実院。
庭田秀子
(故人)
牡牛座
庭田 秀子(にわた ひでこ、生年不詳 - 貞享2年4月2日(1685年5月4日))は、後光明天皇の典侍。礼成門院孝子内親王の母。父は右近衛中将従四位上庭田重秀だが、母は明かではない。
橋本経子
(故人)
山羊座
橋本 経子(はしもと つねこ 、文政9年11月26日(1826年12月24日) - 慶応元年8月9日(1865年9月28日))は、幕末期の日本の女官。第120代仁孝天皇の后妃のひとりであり、親子内親王の生母である。官職は典侍(新典侍)。
四辻与津子
(故人)
山羊座
四辻 与津子(よつつじ よつこ、生年不詳 - 寛永15年12月6日(1639年1月9日))は、江戸時代初期の女性。後水尾天皇の典侍。父は正二位権大納言四辻公遠。女房名、出仕名は御よつ御寮人、大納言典侍、また一位局。院号は明鏡院。姉に上杉景勝側室(定勝生母)桂岩院。
姉小路定子
(故人)
乙女座
姉小路 定子(あねがこうじ さだこ、享保2年7月18日(1717年8月24日) - 寛政元年9月22日(1789年11月9日))は、江戸時代中期の女性。桜町天皇の典侍で、桃園天皇の母。父は参議・正四位上姉小路実武。女房名は権典侍、宰相典侍、大典侍、また三位局とも。
正親町雅子
(故人)
射手座
正親町 雅子(おおぎまち なおこ、享和3年11月1日(1803年12月14日) - 安政3年7月6日(1856年8月6日))は、江戸時代後期の女院(最後の女院)。父は正親町実光。母は四辻公亨の娘千栄子。子に孝明天皇のほか二皇子一皇女をもうけた。
勧修寺婧子
(故人)
射手座
勧修寺 婧子(かじゅうじ ただこ、安永9年11月6日(1780年12月1日) - 天保14年3月21日(1843年4月20日))は、光格天皇の典侍で、仁孝天皇の生母。
櫛笥隆子
(故人)
山羊座
櫛笥 隆子(くしげ たかこ、慶長9年(1604年) - 貞享2年5月22日(1685年6月23日))は、江戸時代の女性。後水尾天皇の後宮で後西天皇の生母。女院。父は左中将櫛笥隆致(贈従一位、贈左大臣)。出仕名は勾当内侍、御匣殿、四条局。
櫛笥賀子
(故人)
山羊座
櫛笥 賀子(くしげ よしこ、延宝3年(1675年) - 宝永6年12月29日(1710年1月28日))は、江戸時代中期の女性。東山天皇の側室で、中御門天皇と閑院宮直仁親王の生母。
園国子
(故人)
山羊座
園 国子(その くにこ、寛永元年(1624年) - 延宝5年7月5日(1677年8月3日))は、江戸時代前期の女性。後水尾院の典侍で霊元天皇の国母。女院。院号は新広義門院(しんこうぎもんいん)。父は権大納言園基音(薨去後左大臣追贈)。母は丹波山家藩主谷衛友の娘。
園光子
(故人)
山羊座
園 光子(その みつこ、慶長7年(1602年) - 明暦2年旧2月11日(1656年3月6日))は、後水尾天皇の後宮の一人。後光明天皇の生母。院号は壬生院(みぶいん)。父は参議園基任(薨去後左大臣追贈)。初名は国子、継子。
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