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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
間部詮番
間部 詮番(まなべあきつぐ)は、江戸時代中期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮長の長男。実子に松平外記の殿中刃傷事件で死亡した間部源十郎(詮芳)がいる。元文5年(1740年)、間部詮長の長男として生まれる。宝暦13年(1763年)12月、小姓組の番士になり役料300俵支給される。
間部詮長
間部 詮長(まなべ あきなが)は、江戸時代中期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮衡の長男。妻は秋田季成の娘。正徳5年(1715年)、間部詮衡の長男として生まれる。享保10年(1725年)11月、赤坂間部家の家督と遺領を継ぎ小普請になる。
間部詮寛
間部 詮寛(まなべ あきのぶ)は、江戸時代後期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮芳の長男。生年不明。文政6年(1823年)4月、父・詮芳が松平外記に殺され、それから7か月後の11月に赤坂間部家の家督を相続する。天保11年(1840年)8月、死去。家督は弟の詮徴が継いだ。
間部詮衡
間部 詮衡(まなべ あきひら)は、江戸時代中期の旗本。間部詮房・詮之の実弟。徳川家宣・家継に仕え、本家から独立し赤坂間部家という分家を興した。
間部詮綽
間部 詮綽(まなべ あきひろ)は、江戸時代中期の旗本。間部詮衡の二男。間部詮之の養子になり本所間部家を継いだ。享保元年(1716年)、間部詮衡の二男として生まれる。伯父の本所間部家の当主・間部詮之の養嗣子になり、享保15年(1730年)5月7日、同家の家督を継ぎ小普請に属する。
間部詮芳
間部 詮芳(まなべ あきふさ)は、江戸時代中期から後期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮番の長男。妻は越前鯖江藩主間部詮茂の娘・輝。江戸城西の丸殿中にて松平外記に斬られ死亡した(千代田の刃傷)。
間部詮徴
間部 詮徴(まなべ あきよし)は、江戸時代後期の旗本。間部詮芳の子。兄・詮寛の養子に入り、赤坂間部家の家督を継ぐ。天保11年(1840年)、間部詮寛の養嗣子になり赤坂間部家の家督と遺領を相続した。
間部詮義
間部 詮義(まなべ あきよし)は、江戸時代後期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮徴の子。旗本としての赤坂間部家最後の当主。幼少の身で家督を継ぐ。財政問題を契機に本家筋の鯖江藩主間部詮勝から介入を受け、赤坂間部家の家政全般を本家に掌握された。
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