P
erson
H
ub
×
18件の検索結果
(0.00sec)
高度な検索
出身
北海道
青森県
岩手県
宮城県
秋田県
山形県
福島県
東京都
神奈川県
埼玉県
千葉県
栃木県
群馬県
茨城県
山梨県
長野県
新潟県
富山県
石川県
福井県
愛知県
岐阜県
静岡県
三重県
大阪府
京都府
兵庫県
滋賀県
奈良県
和歌山県
広島県
岡山県
鳥取県
島根県
山口県
徳島県
香川県
愛媛県
高知県
福岡県
佐賀県
長崎県
熊本県
大分県
宮崎県
鹿児島県
沖縄県
年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
藤原兼子
(795歳)
乙女座
藤原 兼子(ふじわら の けんし、久寿2年(1155年) - 寛喜元年8月16日(1229年9月5日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期の公家女官。刑部卿・藤原範兼の娘。通称は卿局(きょうのつぼね)。位階の昇進に応じて卿三位、卿二位とも。
藤原範子
(824歳)
乙女座
藤原 範子(ふじわら の はんし/ のりこ、1152年頃? - 正治2年8月4日(1200年9月13日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期の女官。刑部卿藤原範兼の娘。後鳥羽天皇の乳母。同じく乳母で権勢を誇ったことで知られる兼子(卿局)は妹。能円の妻、のち源通親の妻。
治部卿局
(793歳)
天秤座
治部卿局(じぶきょうのつぼね、仁平2年(1152年)- 寛喜3年9月11日(1231年10月8日))は、平安時代末期、鎌倉時代前期の女性。武藤頼兼の娘。実名は明子。平知盛の正室。後高倉院(守貞親王)の乳母。子に平知章、平知忠、中納言局。
正親町守子
(701歳)
射手座
正親町 守子(おおぎまち もりこ、生年不詳 - 元亨2年11月9日(1322年12月17日))は鎌倉時代後期の女官。権大納言・正親町実明の長女。伏見院・後伏見院の後宮に入る。寛胤法親王・道凞法親王・承胤法親王・長助法親王・亮性法親王・璜子内親王(章徳門院)の生母。
後鳥羽院宮内卿
後鳥羽院宮内卿(ごとばのいんくないきょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。父は右京権大夫源師光(大納言師頼の子)、母は後白河院の女房安芸と言われる。兄に源泰光、源具親がいる。
後深草院二条
後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう、正嘉2年(1258年)- 不詳)は、鎌倉時代中期の女性。『とはずがたり』の作者とされている。没年は嘉元4年(1306年)以後とされる。
平棟子
(716歳)
蠍座
平 棟子(たいら の むねこ、生年不詳 - 徳治3年9月16日(1308年11月7日))は、後嵯峨天皇の内侍で、鎌倉六代将軍宗尊親王の母。従一位。高棟王流平氏の出自で、父は木工頭平棟基、兄弟に参議平成俊がいる。
鷹司院帥
鷹司院帥(たかつかさいんのそち、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘。共に勅撰歌人である大僧都定円、尚侍家中納言(藤原親子)は兄弟姉妹。鞘堂
中納言局 (平知盛の娘)
中納言局(ちゅうなごんのつぼね、治承5年(1181年) - ?)は、鎌倉時代前期の女官。平家一門の平知盛の娘。母は治部卿局。後堀河天皇の内裏女房。藤原範茂の妻。子に範継、女子(藤原隆親妻、のちに離別)。
尚侍家中納言
尚侍家中納言(ないしのかみけちゅうなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘、藤原親子(ふじわらのちかこ、または、ふじわらのしんし)。共に勅撰歌人である大僧都定円、鷹司院帥は兄弟姉妹。
二条為子
二条 為子(にじょう いし/ためこ)は、鎌倉時代後期、二条派の代表的歌人。贈従三位為子(ぞうじゅさんみいし/ためこ)とも。歌聖藤原定家の嫡系子孫で、歌壇の大御所二条為世の娘。皇太子尊治親王(のちの後醍醐天皇)の妃。
北畠親子
北畠 親子(きたばたけ しんし/ちかこ)は、鎌倉時代後期の京極派の歌人。伏見天皇の典侍で側室。『神皇正統記』を著した北畠親房の義理の姉。夫の伏見天皇や伏見正室の永福門院の庇護のもと京極為兼らによって開かれた文学サロンで、京極派の有力歌人として大きく活躍した。
二条藤子
二条 藤子(にじょう とうし/ふじこ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての女官・歌人。歌聖藤原定家嫡系子孫で、二条派当主の二条為定の妹。後醍醐天皇中宮西園寺禧子の中宮宣旨(筆頭女房)。また、後醍醐の側室ともなり、南朝征西大将軍の懐良親王をもうけた。
日野名子
(666歳)
牡羊座
日野 名子(ひの めいし、延慶2年(1310年)? - 延文3年2月23日(1358年4月10日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての女房。光厳天皇典侍。名は「資子」とも。通称は「竹むき」。父は日野資名、夫は西園寺公宗。日記『竹むきが記』の筆者として知られる。
平教子
平 教子(たいら の のりこ、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代前期の女官。桓武平氏維衡流(伊勢平氏)。父は平教盛。藤原範季の正室。後鳥羽天皇の寵妃藤原重子(修明門院)の母で、順徳天皇の外祖母にあたる。子は他に藤原(高倉)範茂。従三位。
藤原雅子
藤原 雅子(ふじわら の まさこ、生没年不詳)は、鎌倉時代の女官。父は法性寺雅平(藤原雅長の孫)。母は藤原光氏の娘。亀山天皇に仕えて典侍となり、中納言典侍(ちゅうなごんの てんじ)と呼ばれる。憙子内親王(昭慶門院)の生母となり、従三位に叙せられている。
藤原経子 (冷泉永経女)
藤原 経子(ふじわらのつねこ)は、鎌倉時代後期の後宮女官。冷泉(藤原)永経の女で、義弟または義兄に永賢がいる。後宮では中務(なかつかさ)の候名で掌侍(内侍)として伏見天皇に仕え、よって後に「伏見院中務内侍(ふしみのいんのなかつかさのないし)」と称される。
近衛通子
近衛 通子(このえ みちこ/つうし、長寛元年(1163年) - 没年不詳)は、高倉天皇の妃で、安徳天皇の准母。関白・近衛基実女。母は左京大夫藤原頭輔女。兄弟に近衛基通・粟田口忠良がいる。
ページ 1 / 1