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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
藤原鎌足
藤原 鎌足 / 中臣 鎌足(ふじわら の かまたり / なかとみ の かまたり)は、飛鳥時代の貴族・政治家。中臣御食子の子。母は大伴智仙娘。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖。
高向玄理
高向 玄理(たかむこ の くろまろ- 白雉5年〈654年〉)は、飛鳥時代の学者。名は黒麻呂とも記される。姓は漢人のち史。冠位は大錦上。
多利思比孤
多利思北孤(たりしひこ)は、『隋書』「」で記述される倭国王である。『隋書』では他の中国史書が「倭」としている文字を「」と記述している。『北史』にも記されている。
犬上御田鍬
犬上 御田鍬(いぬかみ の みたすき、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。名は三田耜とも記される。姓は君。冠位は大仁。最後の遣隋使および最初の遣唐使を務めた、大和朝廷の中級官吏・外交官の一人。
小野妹子
小野 妹子(おの の いもこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の官人。姓は臣。冠位は大徳。妹子臣とも表記される。また、よく女性と間違えられるが,男性である。(以下詳細)。『日本書紀』によれば、推古天皇の時代に冠位大礼で大使に選ばれ大唐(当時の隋)に派遣された(→遣隋使)。
粟田真人
粟田 真人(あわた の まひと)は、飛鳥時代後期から奈良時代にかけての公卿。姓は臣のち朝臣。官位は正三位・中納言。
伊吉博徳
伊吉 博徳(いき の はかとこ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官人。氏は伊岐・壱伎、名は博得とも記される。姓は史のち連。『日本書紀』に『伊吉博徳書』が引用されていることで知られる(後述)。
高橋笠間
高橋 笠間(たかはし の かさま)は、飛鳥時代の貴族。姓は朝臣。官位は従四位下・左大弁。
多治比広成
多治比 広成(たじひ の ひろなり)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿・漢詩人。左大臣・多治比嶋の五男。官位は従三位・中納言。
守大石
守 大石(もり の おおいわ)は、飛鳥時代の人物。姓(カバネ)は君。冠位は小錦。
山上憶良
山上 憶良(やまのうえの おくら)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。
阿曇比羅夫
阿曇 比羅夫(あずみ の ひらふ)は、飛鳥時代の人物。名は比良夫とも書く。氏は阿曇氏(安曇氏)だが阿曇山背(安曇山背)と表記されるものもある。姓は連。冠位は大錦中。
阿倍比羅夫
阿倍 比羅夫(あべ の ひらふ、生没年不詳)は、7世紀中期(飛鳥時代)の日本の将軍。氏姓は阿倍引田臣。冠位は大錦上。越国守・後将軍・大宰帥を歴任した。斉明天皇4年(658年)から3年間をかけて日本海側を北へ航海して蝦夷を服属させ、東北以北にて粛慎と交戦した。
廬井鯨
廬井 鯨(いおい の くじら)は、飛鳥時代の人物。近江軍の武将。姓(カバネ)は造。壬申の乱(672年)において、大友皇子(弘文天皇)側の別将となり、中道で戦って敗れた。
壱伎韓国
壱伎 韓国(いき の からくに)は、飛鳥時代の人物。姓(カバネ)は史。672年の壬申の乱で、大友皇子(弘文天皇)側の将となり、河内国から倭(大和国)に進攻したが、葦池の側の戦いで敗れた。
犬養五十君
犬養 五十君(いぬかい の いきみ)は、飛鳥時代の人物。姓は連。大化2年(646年)に失政を犯した国司の部下として咎められた。672年の壬申の乱では大友皇子(弘文天皇)の将として活躍したが、敗れて殺された。
朴市秦田来津
朴市秦 田来津(えち の はた の たくつ)は、飛鳥時代の人物。氏は秦、朴市とも記される。姓は造。冠位は小山下。
大分稚臣
大分 稚臣(おおきだ の わかおみ)は、飛鳥時代の人物。名は稚見(わかみ)とも。姓は君。672年に発生した壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の軍に加わり、7月22日の瀬田の戦いで先頭に立って橋を突破した。後に兵衛。死後外小錦上を追贈された。
大伴吹負
大伴 吹負(おおとも の ふけい)は、飛鳥時代の人物。名は男吹負、小吹負(おふけい)とも記される。姓は連。大徳・大伴咋の子。官位は贈大錦中・常道頭。
大野果安
大野 果安(おおの の はたやす)は、飛鳥時代の人物。姓は君のち朝臣。子に東人がいる。官位は直広肆・糾職大夫。672年の壬申の乱では大友皇子(弘文天皇)側の将となり、及楽山(奈良)で大伴吹負を破ったが、倭京を前にして引き上げた。
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