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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
井上正順
井上 正順(いのうえ まさより)は、下総国高岡藩の最後(11代)の藩主。子爵。嘉永7年(1854年)7月21日、10代藩主・井上正和の長男として生まれる。慶応3年(1867年)3月28日、父の隠居により家督を継いだ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に従う。
井上正和
井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。
井上政重
井上 政重(いのうえ まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。江戸幕府宗門改役。下総国高岡藩初代藩主。高岡藩井上家初代。号は幽山。
井上政清
井上 政清(いのうえ まさきよ)は、下総国高岡藩の第2代藩主。寛永5年(1628年)、初代藩主・井上政重の長男・井上政次の長男として生まれる。
井上政蔽
井上 政蔽(いのうえ まさあきら)は、はじめ1000石の旗本。のちに下総高岡藩3代藩主。寛文元年(1661年)、2代藩主・井上政清の次男として生まれる。長兄に内記がいたため、1000石の旗本であった叔父・井上政則の養子となり、寛文9年(1669年)に家督を継いで旗本となった。
井上政鄰
井上 政鄰(いのうえ まさちか)は、下総国高岡藩の第4代藩主。元禄6年(1693年)、3代藩主・井上政蔽の長男として生まれる。正徳6年(1716年)に父が死去したため家督を継ぎ、享保元年(1716年)7月22日に従五位下・筑後守に叙位・任官する。
井上正森
井上 正森(いのうえ まさもり)は、下総国高岡藩の第5代藩主。宝永7年(1710年)、3代藩主・井上政蔽の六男として生まれる。享保15年(1730年)2月3日、4代藩主の兄・政鄰の養子となる。
井上正国
井上 正国(いのうえ まさくに)は、下総国高岡藩の第6代藩主。元文4年(1739年)9月7日、尾張藩の8代藩主・徳川宗勝の十男として江戸で生まれる。はじめ父の「勝」の偏諱を受けて松平勝斯と名乗った。
井上正紀
井上 正紀(いのうえ まさのり)は、下総国高岡藩の第7代藩主。
井上正瀧
井上 正瀧(いのうえ まさたき)は、下総国高岡藩の第8代藩主。7代藩主・井上正紀の三男として生まれる。文化3年(1806年)12月7日、父の死去により家督を継ぐ。文化11年(1814年)11月1日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下、筑後守に叙位・任官する。
井上正域
井上 正域(いのうえ まさむら)は、下総国高岡藩の第9代藩主。8代藩主・井上正瀧の長男として生まれる。天保12年(1841年)11月24日、父の隠居により家督を継いだ。12月16日には従五位下、山城守に叙位・任官する。のちに筑後守に遷任する。
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