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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
志貴皇子
志貴皇子(しきのみこ、668年? - 霊亀2年8月9日(716年8月30日))は、日本の飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。芝基皇子または施基皇子(親王)、志紀皇子とも記す。天智天皇第7皇子。位階は二品。
橘佐為
橘 佐為(たちばな の さい)は、奈良時代前期から中期にかけての賜姓皇族・貴族。初名は佐為王。従四位下・美努王(三野王)の子。官位は正四位下・中宮大夫。天平年間初頭に風流侍従の一人とされた狭井王と同一人物と想定される。佐為流の始祖。
橘諸兄
橘 諸兄(たちばな の もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿。初名は葛城王(葛木王)で、臣籍降下して橘宿禰のち橘朝臣姓となる。敏達天皇の後裔で、大宰帥・美努王の子。母は橘三千代で、光明子(光明皇后)は異父妹にあたる。官位は正一位・左大臣。
文室浄三
文室 浄三(ふんや の きよみ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族・公卿。初名は智努王(ちぬおう、知努王・珍努王・茅野王と表記した文献もある)。天武天皇の孫。一品・長親王の子。
開成 (僧)
開成(かいじょう、神亀元年(724年) - 天応元年10月4日(781年10月25日)は、奈良時代の僧。父は光仁天皇で、桓武天皇の庶兄。摂津国勝尾寺の開基と伝えられる。一般には開成皇子と称されることが多い。
長皇子
長皇子(ながのみこ)は、天武天皇の皇子。品位は一品。長親王(ながしんのう)とも記される。
湯原王
湯原王(ゆはらおう/ゆはらのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・歌人。天智天皇の孫で、二品・志貴皇子の子。無官位か。
安八万王
安八万王(あはちまおう/あはちまのおおきみ、生年不詳 - 養老3年1月16日(719年2月9日))は、奈良時代の皇族。系譜は明らかでないが、太政大臣・高市皇子の子か。官位は正四位下・治部卿。
竹田王
竹田王(たけだおう、生年不詳 - 和銅8年3月15日(715年4月22日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。敏達天皇の曾孫で、百済王の子とする系図がある。官位は従四位上・刑部卿。
長屋王
長屋王(ながやおう/ ながやのおおきみ)は、奈良時代前期の皇親・政治家。太政大臣・高市皇子の長男。官位は正二位・左大臣。天智天皇と天武天皇の孫(母方の祖父と父方の祖父)。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原四兄弟の陰謀といわれる長屋王の変で自殺した。
基王
基王(もといおう)は、日本の皇族。聖武天皇の第1皇子。基皇子(もといのみこ)とも。
長岡岡成
長岡 岡成(ながおか の おかなり)は、平安時代初期の皇族・貴族。姓は朝臣。桓武天皇の皇子。官位は従四位上・散位頭。
良岑安世
良岑 安世(よしみね の やすよ)は、平安時代初期の皇族・公卿。桓武天皇の皇子。官位は正三位・大納言、贈従二位。
忍壁皇子
忍壁皇子(おさかべ の みこ)は、天武天皇の皇子。大宝律令の編集には筆頭の編纂者として参与した。文武天皇朝の知太政官事。忍坂部皇子、刑部親王(おさかべしんのう)とも記される。
広瀬王
広瀬王(ひろせおう、生年不詳 - 養老6年1月28日(722年2月18日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。名は広湍王とも記される。敏達天皇の孫で、春日皇子の子。官位は正四位下・大蔵卿。
美努王
美努王(みぬおう/みのおう)は、敏達天皇の後裔で、四位・栗隈王の子。官位は従四位下・治部卿。表記については『六国史』にて弥努王・美奴王・美弩王・三野王など様々な記載がされており、人物比定にも問題がある。
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