李豊 (後漢)

読みリホウ

李 豊(り ほう)は、中国後漢末期の袁術配下の武将。建安2年(197年)9月、曹操の攻撃を受けた袁術は、橋蕤・李豊・梁綱・楽就に守備を任せ、自身は淮河を渡って逃走した。四将はいずれも于禁によって斬殺された。

[ ウィキペディアで続きを見る... ]
◆「李豊 (後漢)」と同じカテゴリ
◆「李豊 (後漢)」の外部リンク