伊藤弘貞

読みイトウヒロサダ
没年月日1869年01月01日没

伊藤 弘貞(いとう ひろさだ)は、幕末の越後長岡藩藩士で、古義学派(堀川門流)儒臣。藩主牧野忠雅の養嗣子で、後の藩主牧野忠恭侍読や藩校崇徳館都講を務める。河井継之助が主導する越後長岡藩の慶応改革で藩学としての古義学が廃止されたので、越後長岡藩の古義学派都講としては最後の人物である。

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