小俣賢宝

読みオマタケンポウ

小俣 賢宝(おまた けんぽう、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の武士・僧侶。小俣法印と称す。足利氏4代当主・足利泰氏の8男といわれる。下野国足利荘小俣を領して小俣氏を称した。子に頼宝。小俣氏は足利尊氏に従っていたが、賢宝の曾孫である義弘は尊氏に敵対し、敗れて甲斐国に土着したとされる。

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