久松碩次郎

読みヒサマツセキジロウ
没年月日1837年01月01日没

久松 碩次郎(ひさまつ せきじろう)は、江戸時代の長崎の地役人。通称・定碩。長崎町年寄の久松家の8代目。同じく町年寄の高島家の次男で、久松家の養子になった。長兄の高島弥三郎が文化14年(1817年)に没したため、実家の高島家は三男の高島秋帆が継いだ。

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