吉良義周

読みキラヨシチカヨシマサ
没年月日1706年01月01日没

吉良 義周(きら よしちか/よしまさ)は、江戸時代前期の高家旗本。米沢藩4代藩主・上杉綱憲の次男として生まれ、祖父である吉良義央の養子となり高家吉良家を継ぐが、元禄15年12月14日(1703年1月30日)の赤穂事件で、赤穂浪士らに義央を討たれて自身も負傷する。

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