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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
本多重次
本多 重次(ほんだ しげつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。通称は作左衛門(さくざえもん)。
本多忠勝
本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。
本多忠真
本多 忠真(ほんだ ただざね)は、戦国時代の三河国の武将。松平氏(徳川氏)の家臣。本多忠勝の叔父。
本多忠高
本多 忠高(ほんだ ただたか)は、戦国時代の三河国の武将。松平氏の家臣。子に本多忠勝。
本多忠次 (伊奈城主)
(故人)
山羊座
本多 忠次(ほんだ ただつぐ、天文16年(1547年)- 慶長18年4月6日(1613年5月25日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。徳川氏の家臣。三河国宝飯郡伊奈郷(愛知県豊川市伊奈町)の伊奈城々主(伊奈本多氏5世)。のちの近江国膳所藩主本多氏の祖。
本多忠豊
本多 忠豊(ほんだ ただとよ)は、戦国時代の武将。三河国松平氏家臣。徳川四天王・本多忠勝の祖父にあたる。
本多正純
本多 正純(ほんだ まさずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府の老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の長男で、正信系本多家宗家2代。徳川家康の側近であったが、徳川秀忠の代に失脚した。
本多正信
本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の家臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。父祖以来、徳川氏に仕えるが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。
本多康重
本多 康重(ほんだ やすしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。三河岡崎藩初代藩主。大名としての本多豊後守家初代。本多広孝の長男。母は東条松平義春の娘。正室は大垣藩主・石川家成の娘。
牧野古白
牧野 古白(まきの こはく)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。俗名は成時(しげとき)。法名の古白は古伯とも書く。利成とする文書もあるが一般的ではない。三河国今橋城(吉田城)主。
牧野貞成
牧野 貞成(まきの さだなり)は、戦国時代の武将。東三河地方の国人領主。牛久保城主第2代、通称は民部丞・右馬允・新二郎。牧野成勝の子(実は牧野成種(出羽守)の子、成勝の養子となる)。
牧野成勝
牧野 成勝(まきの しげかつ)は、戦国時代の武将。東三河地方の国人領主。通称は民部丞、右馬允。三河国牛久保城(愛知県豊川市牛久保町)主。子孫は長岡藩主の家系に連なる。
牧野成敏
牧野 成敏(まきの しげとし、生没年不詳)は、日本の戦国時代、主に享禄から天文年間に東三河地方(現愛知県豊川市・豊橋市など)で活動した武将。同地方の国人領主牧野氏の一族。通称は田兵衛尉・田兵衛・伝兵衛。牧野氏一族の中でも早期に岡崎松平氏(後の徳川氏)に帰属したことで知られる。
牧野成定
牧野 成定(まきの なりさだ)は、戦国時代の武将。三河国宝飯郡牛久保城主。牛久保城主牧野貞成(右馬允・民部丞)の養子となり、牛久保城主を継ぐ。牧野保成(出羽守)の義理の甥。実は牧野氏成(新九郎)の子(寛政重修諸家譜)。初代の越後長岡藩主・牧野忠成の祖父にあたる。
牧野信成 (今橋城主)
牧野 信成(まきの のぶしげ)は、戦国時代の武将・国人領主。通称は田蔵・田三・田三郎。『三河物語』では、伝蔵。三河国吉田城(今橋城)主(所在地は愛知県豊橋市今橋町)。
牧野保成
牧野 保成(まきの やすしげ)は、戦国時代の武将。東三河地方の国人領主。牛窪城主。通称は出羽守、田三郎。牧野成種の子。天文期に戦国大名今川氏に属して戸田氏に奪われていた所領を回復したが、永禄期半ばに徳川家康の東三河進出に抵抗し敗死した。
牧野康成 (石戸領主)
牧野 康成(まきの やすしげ)は、戦国時代の武将・徳川氏の家臣。
牧野康成 (大胡藩主)
牧野 康成(まきの やすなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・譜代大名。徳川氏の家臣。はじめ三河国牛久保城主、のち上野国大胡藩初代藩主。官位は従五位下・右馬允。
松平家清
松平 家清(まつだいら いえきよ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。松平清宗の長男。三河国吉田藩の初代藩主。竹谷松平家6代当主。
松平家忠
松平 家忠(まつだいら いえただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。深溝松平家4代当主。彼の記した日記(『家忠日記』)は、戦国武将の生活や当時の有力大名を知る上で貴重な史料となっている。
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