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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
青山延光
(故人)
蠍座
青山 延光(あおやま のぶみつ、文化4年10月23日(1807年11月22日) - 明治4年9月29日(1871年11月11日))は、幕末の儒学者。水戸藩士。『大日本史』の校訂作業に尽力し、本紀・列伝の出版に際しては徳川斉昭の跋文を代作した。字は伯卿、通称は量太郎、号は佩弦斎、晩翠。
青山延于
(故人)
山羊座
青山 延于(あおやま のぶゆき、安永5年(1776年) - 天保14年9月6日(1843年9月29日))は、江戸時代の儒学者で水戸藩士。江戸彰考館総裁。弘道館初代教授頭取(総教)。『大日本史』の校訂・出版の作業を推進した。字は子世、通称は量介(量助)、号は拙斎、雲竜。
赤松滄洲
(故人)
山羊座
赤松 滄洲(あかまつ そうしゅう、享保6年(1721年) - 寛政13年1月8日(1801年2月20日))は、江戸時代中期の儒学者。名は鴻、字は国鸞。滄洲・静思翁と号す。通称は大川良平。父は舟曳通益。
秋山朋信
秋山 朋信(あきやま とものぶ)は、江戸時代後期の越後長岡藩士で古文辞学者。藩校崇徳館の都講。通称は多門太。号は景山で致仕後に酔翁。字は子文。一般的には秋山 景山で知られる。
安積澹泊
(故人)
山羊座
安積 澹泊(あさか たんぱく、明暦2年11月13日(1656年12月28日) - 元文2年12月10日(1738年1月29日))は、江戸時代中期の儒学者。諱は覚、字は子先、幼名は彦六、通称は覚兵衛、号は澹泊、澹泊斎、晩年は老圃、老圃常山、老牛など。
朝川善庵
(故人)
牡牛座
朝川 善庵(あさかわ ぜんあん、天明元年4月8日(1781年5月1日) - 嘉永2年2月7日(1849年3月1日))は江戸時代後期の儒学者。名は鼎。字は五鼎。中根香亭の外祖父にあたる。養子として朝川同斎を迎える。
安東省菴
安東 省菴(あんどう せいあん)は日本の儒学者。六組(大組)石高200石の蔵米知行取の柳河藩立花氏家臣にして藩儒である。なお、所属組は立花壱岐組、後に立花九郎兵衛組。子に安東侗菴。立花道雪の重臣安東家忠の曾孫にあたる。
五十嵐于拙
五十嵐 于拙(いがらし うせつ)は、出羽上山藩の藩士・儒学者。諱は光春(みつはる)。
池田光政
池田 光政(いけだ みつまさ)は、武将、大名。播磨姫路藩第3代藩主、因幡鳥取藩主、備前岡山藩主(池田宗家)。
伊藤鏡河
(故人)
山羊座
伊藤 鏡河(いとう きょうか、いとう きょうが、宝暦2年(1752年) - 文政12年3月6日(1829年4月9日))は、江戸時代中期から後期にかけての豊後国岡藩の儒学者である。名は幸猛。字は寛叔。通称は文蔵、作内左衛門。別号に環翠園、鏡湖などがある。
伊藤弘貞
伊藤 弘貞(いとう ひろさだ)は、幕末の越後長岡藩藩士で、古義学派(堀川門流)儒臣。藩主牧野忠雅の養嗣子で、後の藩主牧野忠恭侍読や藩校崇徳館都講を務める。河井継之助が主導する越後長岡藩の慶応改革で藩学としての古義学が廃止されたので、越後長岡藩の古義学派都講としては最後の人物である。
伊藤弘充
(故人)
山羊座
伊藤 弘充(いとう ひろみつ、1781年 - 1864年)は江戸時代の越後長岡藩儒臣。古義学(堀川門流)の宗家である古義堂3代目で三河国挙母藩藩校初代学頭となった伊藤善韶(東所)の子。古文辞学を教授する秋山朋信(景山)とともに藩校崇徳館の初代都講になる。諱は弘充、通称は満蔵、号は東岸。
伊藤鳳山
(故人)
山羊座
伊藤 鳳山(いとう ほうざん、文化3年(1806年) - 明治3年(1870年))は、出羽庄内藩領の酒田(現在の山形県酒田市)出身の儒学者。田原藩家老渡辺崋山に見出され、以降田原藩藩儒として仕える。家老渡辺崋山、藩医鈴木春山とともに田原の三大山と謳われた。
稲葉迂斎
(故人)
蠍座
稲葉 迂斎(いなば うさい、貞享元年9月17日(1684年10月25日) - 宝暦10年11月10日(1760年12月16日))は、江戸時代の儒学者。麻布六本木町出身。佐倉藩士鈴木正則の子。通称は十五郎、十左衛門。諱は通経、後正義と改名。兄に稲葉則通がいる。同じく儒学者の稲葉黙斎は息子。
稲生若水
(故人)
乙女座
稲生 若水(いのう じゃくすい、明暦元年7月27日(1655年8月28日)- 正徳5年7月6日(1715年8月4日))は、江戸時代中期の医学者・本草学者・儒学者。名は宣義、字は彰信。通称は正助。若水は号。別号に白雲道人。一字姓で稲若水とも名乗った。
岩本贅庵
岩本 贅庵(いわもと ぜいあん)は江戸時代の儒学者・漢詩人。徳島藩家老賀島政延侍講。鉄復堂・柴野碧海門下。門弟に新居水竹・有井進斎・岡本監輔等がいる。
大江玄圃
(故人)
山羊座
大江 玄圃(おおえ げんぽ、享保14年(1729年)5月 - 寛政6年2月25日(1794年3月26日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。名は資衡。字は穉圭。通称は久川靱負。号は玄圃、時習堂。京都三条油小路東入町に住んだ。
大菅南坡
(故人)
山羊座
大菅 南坡(おおすが なんぱ、宝暦4年(1754年) - 文化11年11月15日(1814年12月26日))は江戸時代後期の儒学者。名は集。通称は権之丞。字は翊之。別号に蘭沢。
大田錦城
(故人)
山羊座
大田 錦城(おおた きんじょう、明和2年(1765年) - 文政8年4月23日(1825年6月9日))は、江戸時代中・後期の儒学者。名は元貞、字は公幹、通称は才佐。他の号に老人・春草翁・柳橋釣叟・矢倉潜夫がある。姓は「太田」とも表記される。
大谷茂次郎
大谷 茂次郎(おおたに しげじろう、生没年不詳)は、幕末の土佐藩士、朱子学者。文政12年(1829年)講習勤並通鑑綱目会頭を命じられ、以降、天保5年(1834年)教授役、天保7年(1836年)藩主相手役、文久元年(1861年)文村司業且小目付を歴任する。
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