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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
隆子女王 (伏見宮貞敬親王王女)
(故人)
牡牛座
隆子女王(たかこにょおう、文化15年4月5日(1818年5月9日) - 万延元年6月25日(1860年8月11日))は、江戸時代後期の女性皇族。通称は幾佐宮(きさのみや)。後述する出奔事件で知られる。
文智女王
(故人)
獅子座
文智女王(ぶんちじょおう、1619年7月30日〈元和5年6月20日〉- 1697年2月4日〈元禄10年1月13日〉)は、日本の皇族、尼僧。後水尾天皇の第1皇女。身位は女王。幼名は梅宮または沢宮。号は文智大通。
理忠女王
(故人)
天秤座
理忠女王(りちゅうじょおう、寛永18年8月22日(1641年9月26日) - 元禄2年8月26日(1689年10月9日))は、江戸時代前期の尼僧。父は後水尾天皇。母は櫛笥隆子。幼名は柏宮。京都宝鏡寺第21世門跡。
理豊女王
(故人)
双子座
理豊女王(りほうじょおう、寛文12年5月26日(1672年6月21日) - 延享2年5月12日(1745年6月11日))は、後西天皇の第十一皇女。母は典侍の清閑寺共子。幼名は橿宮、追号は本覚院、法名は徳巌理豊。
珖子女王
(故人)
山羊座
珖子女王(こうこじょおう、1913年(大正2年)12月5日 - 1918年(大正7年)6月27日)は、大正時代の日本の皇族。
季子女王
(故人)
山羊座
季子女王(すえこじょおう、1898年〈明治31年〉11月2日 - 1914年〈大正3年〉7月17日)は、日本の皇族。閑院宮載仁親王の第3女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。腎臓病によって、15歳で夭折した。
寛子女王
(故人)
山羊座
寛子女王(ひろこじょおう、1906年〈明治39年〉2月21日 - 1923年〈大正12年〉9月1日)は、日本の皇族。閑院宮載仁親王の第4女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。
飛呂子女王
(故人)
双子座
飛呂子女王(ひろこじょおう、明治4年5月2日(1871年6月9日) - 1889年(明治22年)11月22日)は、明治時代前期の皇族。久邇宮朝彦親王の第四王女で母は家女房の泉萬喜子。明仁上皇の外祖父にあたる久邇宮邦彦王の同母姉。
井伊宜子
(故人)
牡羊座
井伊 宜子(いい よしこ、嘉永4年2月26日(1851年3月28日) - 明治28年(1895年)1月4日)は、江戸時代幕末から明治時代にかけての皇族、華族。父は有栖川宮幟仁親王。井伊直憲の最初の夫人。旧名宜子女王。幼名は糦宮(もりのみや)。
幟子女王
(故人)
射手座
幟子女王(たかこじょおう、天保6年11月1日(1835年12月20日) - 安政3年11月7日(1856年12月4日))は、水戸藩第10代藩主・徳川慶篤の正室。有栖川宮幟仁親王の第1王女。12代将軍・徳川家慶の養女。幼称は線宮(いとのみや)。
吉子女王
(故人)
蠍座
吉子女王(よしこじょおう、1804年10月28日〈文化元年9月25日〉-1893年〈明治26年〉1月27日)は、日本の皇族、華族。有栖川宮織仁親王の第12王女。水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の御簾中(正室)。第10代藩主・徳川慶篤、最後の征夷大将軍・徳川慶喜の母。
令子女王
(故人)
山羊座
令子女王(よしこじょおう、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 1937年〈昭和12年〉10月25日)は、日本の皇族。伏見宮博恭王の第1王男子・博義王の第2王女子。身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下であった。
昭子女王
昭子女王(しょうしじょおう/あきこじょおう、?-正暦5年7月7日(994年8月16日))は、平安時代中期の皇族。別名・能子。元平親王の嫡女。関白藤原兼通の正室。藤原兼通と結婚して、藤原媓子(円融天皇中宮)・藤原朝光らを生む。
緒継女王
緒継女王(おつぐじょおう、延暦6年(787年) - 承和14年11月7日(847年12月18日))は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての女官。官位は尚蔵・従二位。
智観女王
智観女王(ちかんじょうおう/にょおう、1412年〈応永19年〉 - ?)は室町時代の皇族。女王。伏見宮家第2代当主で治仁王の第1王女。北朝第三代崇光天皇の曾孫。妹に智久女王。後花園天皇(今日の皇室の男系祖)と貞常親王(伏見宮第4代当主・旧皇族の男系祖)は従弟にあたる。
智久女王
(607歳)
魚座
智久女王(ちくじょうおう/にょおう、1417年3月5日〈応永24年2月17日〉 - ?)は室町時代の皇族。女王。伏見宮家第2代当主で崇光天皇の皇孫、伏見宮治仁王の第3王女。幼名ははい。1433年(永享5年)、近江国(滋賀県)坂本の智恩寺に入室し、同年元応寺で落飾した。
照子女王
(故人)
山羊座
照子女王(てるこじょおう、寛永2年(1625年) - 宝永4年2月26日(1707年3月29日))は、江戸時代前期から中期の女性。伏見宮貞清親王の王女で、紀州藩第2代藩主・徳川光貞の正室(御簾中)。幼称は安宮(やすのみや)。院号は天真院(てんしんいん)。
慶子女王
慶子女王(よしこじょおう、嘉禄元年(1225年) - 弘安9年(1286年))は、鎌倉時代の皇族。順徳上皇の皇女。承久の乱後、佐渡島に配流された順徳上皇が同島で右衛門督局(藤原範光の娘)との間に最初に儲けた子女である。和歌をよくし、弘安9年、62歳で没した。
海上女王
海上女王(うなかみじょおう/うなかみ の おおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の日本の皇族。志貴皇子皇女。位階は従三位。
河内女王
河内女王(かわちじょおう/こうちのおおきみ、生年不明 - 宝亀10年12月23日(780年2月5日))は、奈良時代の日本の皇族。高市皇子の皇女。位階は正三位。
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