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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
建部伊賀麻呂
建部伊賀麻呂(たけるべのいがまろ、生没年不明)は、8世紀の日本にいた人物である。姓(カバネ)ははじめ公、766年に朝臣。同年に近江国志賀団の大毅で、位階は少初位上であった。
智尊
智尊(ちそん)は、飛鳥時代の人物。旧仮名遣いでの読みは同じ。姓(カバネ)はなし。672年の壬申の乱の際、大友皇子(弘文天皇)側の将となり、瀬田の戦いで先鋒となったが、戦死した。『日本書紀』の瀬田の戦いの箇所に登場するのみで、系譜などは一切不明である。
調伊企儺
調 伊企儺(つき の いきな、生年不詳 - 欽明天皇23年(562年)7月)は、日本の6世紀中頃の武将。姓は吉士(きし)で調吉士伊企儺(つきのきしいきな)と称する。大葉子の夫。
捕鳥部万
捕鳥部 万(ととりべ の よろず)は、飛鳥時代の武人。物部守屋の資人。姓はなし。
伴勝雄
伴 勝雄(とも の かつお)は、平安時代初期の貴族。東宮傅・大伴弟麻呂の子。官位は従四位下・右兵衛督。
丈部呰人
丈部 呰人(はせつかべ の あざひと)は、日本の奈良時代の人物である。8世紀前半に陸奥国新田郡仲村郷他辺里長で、不明の軍団の二百長(校尉)を務めた。1955年(昭和30年)に宮城県遠田郡田尻町(現在の大崎市)の木戸瓦窯跡で15の文字が刻まれた平瓦が見つかった。
丈部善理
丈部 善理(はせつかべ の ぜんり、生年不詳 - 延暦8年(789年))は、平安時代前期の武将。姓はなし。位階は外従七位下、贈外従五位下。
丈部大麻呂 (陸奥国)
丈部 大麻呂(はせつかべ の おおまろ)は、8世紀前半の日本で陸奥国安積郡陽日郷川合里にいた人物である。多賀城で発掘された木簡によって知られ、29歳のとき軍団兵士として勤務していたと推定される。左頬にほくろがあった。
秦友足
秦 友足(はだ の ともたり)は、飛鳥時代の人物。姓はなし。
羽田矢国
羽田 矢国(はた の やくに)は、飛鳥時代の人物。名は八国とも書く。旧仮名遣いでの読みは同じ。姓(カバネ)は公、後に真人。672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側に寝返り、琵琶湖北回りの軍を率いて三尾城を攻略した。大弁官。冠位は直大参、贈直大壱。
彦国葺命
彦国葺命(ひこくにふくのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の人物。『日本書紀』では「彦国葺」、『古事記』では「日子国夫玖命」、他文献では「彦訓服命」とも表記される。
藤原梶長
藤原 梶長(ふじわら の かじなが)は、平安時代前期の官人。藤原北家、参議・藤原楓麻呂の曽孫。大舎人頭・藤原諸貞の子。官職は出雲守。
藤原真雄
藤原 真雄(ふじわら の さねお/まかつ)は、平安時代初期の貴族。藤原北家魚名流、左京大夫・藤原鷹取の子。官位は正四位下・備前守。
書根麻呂
書 根麻呂(ふみ の ねまろ)は、飛鳥時代の人物。氏は文とも、名は尼麻呂、祢麻呂とも書く。姓は首、後に連、忌寸。官位は従四位下・左衛士府督。贈正四位上。子に馬養がいる。672年の壬申の乱で、大海人皇子方の将として近江方面で戦った。
文室巻雄
文室 巻雄(ふんや の まきお)は、平安時代前期の貴族。中納言・文室綿麻呂の九男。官位は従四位上・相模守。
文屋善友
文屋 善友(ふんや の よしとも)は、平安時代前期の官人。官職は上総大掾、対馬守。
文室綿麻呂
文室 綿麻呂(ふんや の わたまろ)は、平安時代初期の公卿。備前守・三諸大原の長男。官位は従三位・中納言。勲位は勲四等。
穂積祖足
穂積 祖足(ほづみ の おやたり)は、飛鳥時代の人物。カバネは臣。推古天皇8 年(600年)に初の征新羅副将軍に任命された。『日本書紀』に記載がある。
道嶋嶋足
道嶋 嶋足(みちしま の しまたり)は、奈良時代の武人・貴族。氏姓は始め丸子(無姓)のち牡鹿連、牡鹿宿禰、道嶋宿禰。官位は正四位上・近衛中将。勲等は勲二等。陸奥在地の豪族の中で唯一中央官僚として立身した。
道嶋御楯
道嶋 御楯(みちしま の みたて、生没年不詳)は、平安時代初期の武官。姓は宿禰。同族に道嶋嶋足や道嶋大楯がいるが親族関係は不明。官位は外従五位下・陸奥鎮守副将軍。蝦夷征討および陸奥経営に重要な役割を果たしたと考えられる。
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