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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
東向殿
(故人)
蟹座
東向殿(ひがしむきどの、文明3年(1471年)? - 永禄2年6月11日(1559年7月15日))は、戦国時代の女性。周防の戦国大名・大内義興の正室。
養珠院殿
(故人)
獅子座
養珠院殿(ようじゅいんどの、未詳 - 大永7年7月17日(1527年8月13日))は、戦国時代の女性。戦国大名・北条氏綱の正室。北条氏康の生母。
龍勝院
(故人)
天秤座
龍勝院(りゅうしょういん、? - 元亀2年9月16日(1571年10月4日))は、戦国時代の女性。甲斐武田氏の当主武田勝頼の正室。武田信勝の母。父は美濃国衆苗木遠山氏の遠山直廉(苗木勘太郎)で、母は尾張の戦国大名織田信長の妹にあたる(苗木勘太郎室)。
尾崎局
(故人)
山羊座
尾崎局(おざきのつぼね、大永7年(1527年)または享禄元年(1529年) - 元亀3年9月30日(1572年11月5日))は、戦国時代の女性。父は大内氏の重臣で長門国守護代である内藤興盛。母は備後国の国人・山内直通の娘。
望月千代女
望月 千代女(もちづき ちよじょ)、望月 千代女房、あるいは望月 千代は、信濃国望月城主望月盛時の妻、信濃国の滋野氏の末裔で、戦国時代における信濃巫の巫女頭(歩き巫女)とされる人物である。作品によってはくノ一とされ、千代女を“ちよめ”と読ませるものもある。
浄光院 (足利義氏正室)
(故人)
蟹座
浄光院(じょうこういん、? - 天正9年6月15日(1581年7月15日))は、戦国時代の女性で第5代古河公方足利義氏の妻。実名は不詳。法号は浄光院殿円桂宗明大禅定尼。
初音姫
初音姫(はつねひめ、初根姫とも)は、戦国武将九鬼嘉隆の甥で嘉隆の先代当主であった九鬼澄隆の娘とされる人物。美しく生まれたことを悔い、非業の死を遂げたという伝承で知られ、「初音姫の墓の横に葬られたい」などと地元民から親しまれている。
御ツマキ
御ツマキ(おつまき)は、安土桃山時代の女性。明智光秀の実妹もしくは義妹と伝わる。
善応院
(故人)
獅子座
善応院(ぜんおういん、? - 慶長9年6月29日(1604年7月25日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。父は荒尾善次。母は荒尾空善の娘。実名は不明。兄弟に荒尾善久、荒尾成房、荒尾隆重。成房と隆重はのちに善応院の次男である池田輝政に仕えた。
若政所
(故人)
乙女座
若政所(わかまんどころ、? - 慶長6年8月20日(1601年9月16日))は、安土桃山時代の女性。夫は豊臣秀次。父は池田恒興。母は不明。兄弟に池田輝政など。実名は不明。別名、若御前。法名は致祥院殿栄岳利盛。官位は正二位だったとする記録がある。
妙印尼
(故人)
山羊座
妙印尼(みょういんに、永正11年(1514年) - 文禄3年11月6日(1594年12月17日))は、上野国新田金山城城主・由良成繁の妻。諱は輝子(てるこ)。甲斐姫の祖母にあたる(甲斐姫の母が妙印尼の娘)。赤井重秀の娘とも赤井家堅の娘ともされる。
市川局
(故人)
牡羊座
市川局(いちかわのつぼね、生年不詳 - 天正13年3月6日(1585年4月5日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。毛利氏の重臣で周防高嶺城番や山口奉行を務めた市川経好の正室。父は諸説あり、吉川氏一門の石経守の娘とする説と、宮庄基友の娘とする説がある。法名は「篤隆妙張禅定尼」。
円珠尼
(故人)
山羊座
円珠尼(えんじゅに、永禄3年(1560年)? - 天正10年(1582年))は、戦国時代の上野国の女流歌人。幼名は小柳。江戸時代の『加沢記』に川田四郎の娘、円珠が天皇から御製和歌を授かった記述がある。
姉小路済子
(故人)
牡羊座
姉小路 済子(あねがこうじ なりこ、文明15年(1483年)- 天文12年3月7日(1543年4月10日))は、戦国時代前期の勾当内侍・典侍。姉小路基綱の娘で姉小路済継の妹。済継の子で姉小路次代当主の済俊は甥にあたる。
東坊城松子
(故人)
天秤座
東坊城 松子(ひがしぼうじょう まつこ、嘉吉2年(1442年) - 享禄2年9月21日(1529年10月23日))は、室町時代後期から戦国時代前期にかけての勾当内侍・典侍。東坊城益長の娘。
随念院
(故人)
乙女座
随念院(ずいねんいん、?-永禄4年8月2日(1561年9月11日))は戦国時代の女性。松平信忠の娘で、実名は久(於久・久子)。初め松平乗勝、後に鈴木重直の妻。松平親乗の母。徳川家康の大叔母にあたり、その養母・乳母的な立場にあった。
大福御前
(故人)
山羊座
大福御前(おふくごぜん、天文10年(1541年) - 文禄2年5月10日(1593年6月9日))は、戦国時代の女性。北条氏邦の正室。
清光院
清光院(せいこういん、生没年不詳)は、戦国時代の前期の女性。室町幕府第12代将軍足利義晴に近侍した。通称は佐子局(さこのつぼね)、出家後は清光院とも称したが、八瀬に隠居したことから八瀬局とも呼ばれた。
小野お通
小野 お通(おの の おつう、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。浄瑠璃の嚆矢『十二段草子』の作者と誤伝されてきた謎多き人物である。阿通、於通とも書き、「おづう」とも読む。
園光院
園光院(えんこういん、生没年不詳)は、戦国時代の女性。甲斐国の戦国大名である武田晴信(信玄)の嫡男武田義信の娘。母は義信正室で駿河今川義元の娘である嶺松院。
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