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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
犬王
(611歳)
双子座
犬王(いぬおう、生年不詳 - 応永20年5月9日(1413年6月7日))は、観阿弥と同時期に活躍した近江猿楽日吉座の大夫。猿楽能の名手として観世座の観阿弥・世阿弥と人気を二分した。阿弥号の「道阿弥」でも知られる。
大久保長安
大久保 長安(おおくぼ ながやす/ちょうあん)/土屋 長安(つちや ながやす)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。甲斐武田氏、次いで徳川氏の家臣となった。徳川家康のもとで吏僚として活躍し、鉱山の開発を担った。
音阿弥
(557歳)
水瓶座
音阿弥(おんあみ、またはおんなみ、応永5年(1398年)- 文正2年1月2日(1467年2月6日))は室町時代の猿楽能役者。観世三郎元重。観阿弥の孫、世阿弥の甥に当たる。三世観世大夫。
観阿弥
(640歳)
双子座
観阿弥(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶2年/元弘3年(1333年) - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))は、日本の南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師。息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。名は清次。
観世清長
(故人)
山羊座
観世清長(かんぜ きよなが、文化 6年(1809年) - 天保13年(1842年))は、シテ方観世流猿楽師。二十一世観世宗家。観世左近を名乗る。天保元年(1830年)21歳で宗家を嗣ぎ、翌天保2年(1831年)から3年にかけて幸橋門外で15日の勧進能を催す。
観世清尚
(故人)
山羊座
観世 清尚(かんぜ きよひさ、享保12年(1727年) - 天明2年10月18日(1782年11月22日))は、江戸中期のシテ方観世流猿楽師。幼名は織之助。十七世観世宗家。観世銕之丞家の祖。観世織部を名乗る。織部清尚とも。十四世宗家織部清親の子で十五世観世元章の弟。
観世信光
(故人)
獅子座
観世 信光(かんぜ のぶみつ、旧字体:觀世 信光、宝徳2年(1450年) - 永正13年7月7日(1516年8月5日))は日本の室町時代の猿楽師(能楽師)、猿楽(能)作者。小次郎(こじろう)とも称する。
観世重賢
(故人)
山羊座
観世 重賢(かんぜ しげかた、万治元年(1658年) - 延享3年4月23日(1746年6月11日))は、江戸時代の猿楽師。12世観世大夫。通称は初め三郎次郎、大夫就任と同時に左門を名乗る。
観世四郎
観世 四郎(かんぜ しろう、生没年不詳)は、室町時代前期の猿楽師。四郎大夫。諱には諸説がある(後述)。観阿弥の息子、世阿弥の弟。兄率いる観世座に所属して、その補佐役として活動していたものと考えられている。音阿弥の父として知られる。
観世宗節
(故人)
山羊座
観世 宗節(かんぜ そうせつ、永正6年(1509年) - 天正11年12月5日(1584年1月17日))は、戦国時代に活躍した観世流猿楽師。七世観世大夫。諱は元忠、法名は、一安斎宗節。
観世長俊
(故人)
山羊座
観世 長俊(かんぜ ながとし、長享2年(1488年)? - 天文10年(1541年)?)は、戦国時代に活動した猿楽師。父・小次郎信光と同様に観世座の「脇之為手」として大夫を支え、また能作者として「江野島」「大社」「正尊」「輪蔵」などの作品を残した。
観世元章
(故人)
山羊座
観世 元章(かんぜ もとあきら、享保7年(1722年) - 安永2年1月18日(1774年2月28日))は、江戸時代中期のシテ方観世流猿楽師。観世流十五世宗家。観世左近と称する。宗家十四世織部清親の子。初名清温。通称は三十郎・左近。
観世元雅
(592歳)
乙女座
観世 元雅(かんぜ もとまさ、 応永元年(1394年)、あるいは応永8年(1401年)頃 - 永享4年8月1日(1432年8月26日))は、室町時代の能作者・猿楽師。通称は十郎。初名は元次とも。法諱は善春。世阿弥の長男とされ、弟に『申楽談儀』を著した観世元能がいる。
喜多七太夫長能
(故人)
山羊座
喜多 七太夫長能(きた しちだゆう ちょうのう / おさよし、天正14年(1586年) - 承応2年1月7日(1653年2月4日))とは、能楽シテ方喜多流の流祖。当時は北七太夫と名乗り、二代十太夫当能より「喜多」を名乗ったが、多くは初代も喜多七太夫と記される。
金剛唯一
(故人)
山羊座
金剛 唯一(こんごう ただいち、文化12年(1815年)- 明治17年)(1884年)は、シテ方金剛流猿楽師。二十一世金剛宗家。前名、右近氏成。幕末は石高は100石で芝飯倉5丁目に住していた。江戸期から明治時代にかけて活躍、能楽復興に尽力する。
金春禅竹
金春 禅竹(こんぱる ぜんちく、応永12年(1405年) - 文明2年(1470年)?)は、室町時代の猿楽師、能作者である。金春弥三郎の子。世阿弥の娘婿。童名は金春七郎、俗名は竹田氏信あるいは貫氏、法名は賢翁禅竹。
金春禅鳳
(492歳)
山羊座
金春 禅鳳(こんぱる ぜんぽう、享徳3年(1454年) - 天文元年(1532年)?)は、室町時代後期の猿楽師。童名は金春八郎、俗名は竹田元安で法名は桐林禅鳳。当時を代表する猿楽師であったとともに、能作者、能楽論の著者としても知られる。
下間仲孝
下間 仲孝(しもつま なかたか)は、日本の戦国時代末期から江戸時代初期の武将。石山本願寺の坊官。猿楽をよくし、猿楽の伝書や演能記録を残している。下間頼照の子。母は定専坊了宗の娘。妻は下間光頼の娘。子に仲世、仲此。別名は下間少進(しもつましょうじん)。
世阿弥
(581歳)
乙女座
世阿弥(ぜあみ、世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。
中西秀長
(故人)
乙女座
中西 秀長(なかにし ひでなが、生年不詳 - 慶安3年8月11日(1650年9月6日))は、江戸時代初期の薩摩藩士。諱は秀長。通称は弥兵衛。官位は正六位長門守。猿楽の名人。はじめ豊臣秀次家臣。一時期呉服商。
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