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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
出雲狛
出雲 狛(いずも の こま、生没年不詳)は、飛鳥時代の貴族。姓(カバネ)はなしのち臣。位階は従五位下。672年の壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)側につき、玉倉部邑で戦い、さらに三尾城を攻略した。
韋那磐鍬
韋那 磐鍬(いな の いわすき)は、飛鳥時代の人物。名は石次(いわつぎ)とも書く。姓は公。宣化天皇の後裔で、鏡王の子とする系図がある。官職は近江守。672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のために東国から兵力を動員する使者になったが、敵方に阻まれて逃亡し、任務に失敗した。
菟野大伴
菟野 大伴(うの の おおとも)は、飛鳥時代の人物。姓は不詳。693年に典鑰の官にあり、盗みの罪で位を落とされ、解任された。
宇婆左
宇婆左(うばさ)は、飛鳥時代の人物。7世紀の日本の本州北部、現在の秋田県能代市や山本郡あたりにいた蝦夷の有力者。658年に都に上って渟代郡の少領に任じられ、建武(または立身)の位を受けた。宇婆左ではなく宇婆左建武(うばさけむ)という名とする説もある。
凡海麁鎌
凡海 麁鎌(おおあま の あらかま)は、飛鳥時代の人物。大海蒭蒲とも書く。「凡海・大海」は旧仮名遣いでは、「おほあま」、「おほしあま」、あるいは「おほさま」と訓む。姓は始め連、後に宿禰。
大生部多
大生部 多(おおうべ の おお、生年不明〜644年?)は、飛鳥時代の宗教家である。姓はなし。
大伴磐
大伴 磐(おおとも の いわ)は、飛鳥時代の豪族。大連・大伴金村の子。
大伴榎本大国
大伴榎本 大国(おおとものえのもと の おおくに)は、飛鳥時代の人物。姓は連。壬申の乱の功臣。
大伴咋
大伴 咋(おおとも の くい)は、飛鳥時代の豪族。名は噛、囓、咋子とも記される。中臣鎌足の母方の祖父。大伴金村または大伴阿被布古の子。冠位は大徳。
大伴糠手子
大伴 糠手子(おおとも の ぬかてこ/あらてこ)は、飛鳥時代の豪族。名は糠手、奴加之古とも記される。大連・大伴金村の子。
大伴部博麻
大伴部 博麻(おおともべ の はかま、生没年不詳)は、飛鳥時代の兵士。
小鴨主
小鴨 主(おがも の ぬし、生没年不詳)は、伯耆国久米郡小鴨郷を出身とする小鴨氏の始祖で「小鴨家系図」に見える人物。系図の記述を参考にすると飛鳥時代、大化の改新の頃の人物である。
置始大伯
置始 大伯(おきそめ の おおく)は、飛鳥時代の人物。名は多久とも書く。姓は連。654年に遣唐使の一員として唐に渡り、翌年帰国。672年の壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)の側についた。693年に窃盗の罪に問われたが、壬申の乱のときの功に免じて赦された。
忍海大国
忍海 大国(おしうみ/おしのみ の おおくに)は、飛鳥時代の人物。姓は造。冠位は小錦下。
忍坂大摩侶
忍坂 大摩侶(おしさか の おおまろ)は、飛鳥時代の人物。名は大麻呂とも書く。姓は直。672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のため兵を興す使者に立ち、敵に捕らえられた。
小墾田猪手
小墾田 猪手(おはりた の いて)は、飛鳥時代の人物。姓はなし。672年の壬申の乱で、都を脱出した大津皇子に同行した。
日下部表米
日下部 表米(くさかべ の うわよね/ひょうまい)は、飛鳥時代の人物。日下部宿禰あるいは表米宿禰、また孝徳天皇の後裔とする系図では表米親王とも記される。日下部氏の始祖とされる人物。官職は養父郡大領あるいは朝来郡大領。
樟磐手
樟 磐手(くす の いわて)は、飛鳥時代の人物。姓(カバネ)は使主。672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のために吉備国の軍を興す使者に立ち、国守の当摩広島を殺した。
久努麻呂
久努 麻呂(くぬ の まろ)は、飛鳥時代の人物。氏は阿倍久努(あべのくぬ)とも記される。姓は臣のち朝臣。冠位は直広肆。
倉墻麻呂
倉墻 麻呂(くらかき の まろ)は、飛鳥時代の人物。姓は直。672年の壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)側につき、河内国から倭(大和国)に来る敵を防いで連戦したが、及ばず退いた。
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