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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
土御門泰福
土御門 泰福(つちみかど やすとみ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿(非参議)・陰陽師。土御門泰広の子でその弟隆俊の養嗣子とされているが、実父を隆俊あるいは泰重(泰広・隆俊の父)とする異説もある。官位は従二位。一般には土御門神道の祖として知られている。
土御門泰誠
土御門 泰誠(つちみかど やすまさ)は、江戸時代前期の公家。従二位・土御門泰福の嫡男。官位は従五位上・弾正少弼。土御門家36代当主とされている。
山浦光則
山浦 光則(やまうら みつのり)は、江戸時代前期の米沢藩藩士。日本史上唯一の「キリシタン公卿の殉教者」とされる。
柳原紀光
柳原 紀光(やなぎわら もとみつ/のりみつ)は、江戸時代中期の公卿・歴史家。柳原光綱の子。官位は正二位権大納言。柳原家18代当主。柳原前光・愛子(大正天皇生母)兄妹は玄孫、柳原義光・柳原白蓮異母兄妹と大正天皇は来孫にあたる。歴史書『続史愚抄』の著者。
高橋宗直
(故人)
天秤座
高橋 宗直(たかはし むねなお、元禄16年8月26日(1703年10月6日) - 天明5年1月25日(1785年3月5日))は、江戸時代の公家、故実家、国学者。本姓は紀。号は図南・文敬先生。高橋親宗の次男。野宮定基・吉見幸和に師事した。
野宮定基
野宮 定基(ののみや さだもと)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・国学者。内大臣・中院通茂の次男。官位は正三位・権中納言。野宮家3代当主。
九条尚実
九条 尚実(くじょう ひさざね/なおざね)は、江戸時代中期の公卿。関白・九条輔実の三男。官位は従一位・摂政、関白、太政大臣、准三后。九条家25代当主。
飛鳥井雅章
(故人)
牡羊座
飛鳥井 雅章(あすかい まさあき、慶長16年3月1日(1611年4月13日)-延宝7年10月12日(1679年11月15日))は、江戸時代前期の公卿・歌人。権大納言・飛鳥井雅庸の三男。官位は従一位・権大納言。武家伝奏。飛鳥井家16代当主。
飛鳥井雅庸
飛鳥井 雅庸(あすかい まさつね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿・歌人。飛鳥井雅敦の子。官位は従二位・権大納言。飛鳥井家13代当主。
飛鳥井雅賢
飛鳥井 雅賢(あすかい まさかた)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公家。権大納言・飛鳥井雅庸の長男。官位は従四位下・左近衛少将。
姉小路公景
姉小路 公景(あねがこうじ きんかげ)は、江戸時代前期の公卿。官位は参議、従二位権大納言。
姉小路公遂
姉小路 公遂(あねがこうじ きんすい)は、江戸時代の公卿。
阿野実顕
阿野 実顕(あの さねあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿・歌人。阿野実時(内山上乗院道怡。還俗して休庵と号する)の子だが、祖父・右少将阿野季時の名跡を継いで阿野家を再興した。初名は実政(さねまさ)、一時実治(さねはる)とも。
阿野実藤
阿野 実藤(あの さねふじ)は、江戸時代前期の公卿。官位は正二位・権大納言。円成院と号す。
一条昭良
一条 昭良(いちじょう あきよし)は、江戸時代前期の公卿。後陽成天皇の第九皇子。関白・一条内基の養子となり一条家14代当主となる。それにより一条家は皇別摂家となった。官位は従一位・摂政、関白、左大臣。
一条内基
一条 内基(いちじょう うちもと)は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての公卿。関白・一条房通の次男。官位は従一位・関白、左大臣。一条家13代当主。号は自浄心院・翫月など。一字名は杏。本能寺の変が起きた時の関白でもある。
一条兼香
一条 兼香(いちじょう かねよし)は、江戸時代中期の公卿。従一位関白左大臣・太政大臣。後円成寺と号する。
一条実通
一条 実通(いちじょう さねみち)は、江戸時代後期の公卿。左大臣・一条忠良(後に関白)の嫡男。官位は従三位・権中納言。一条家21代当主。清源院と号する。
一条実良
一条 実良(いちじょう さねよし)は、江戸時代後期の公卿。左大臣・一条忠香の子。幼名は嘉多丸。官位は従一位・右大臣。一条家23代当主。法号は華厳光寺。昭憲皇太后(明治天皇皇后)の異母兄。横浜港の閉鎖などを建言する。
一条忠香
一条 忠香(いちじょう ただか)は、江戸時代後期の公卿。関白・一条忠良の四男。官位は従一位・左大臣。一条家22代当主。法号は後大勝寺。14代将軍継嗣問題では一橋派を支持。公武合体派で、尊攘派の公家と対立した。余技で絵を能くしたほか、鹿背山焼で好みの煎茶器を作らせた。
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