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年齢
-9歳
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
90代
100歳-
性別
男性
女性
身長
-140cm
140-150cm
150-160cm
160-170cm
170-180cm
180-190cm
190-200cm
200cm-
体重
-40kg
40-50kg
50-60kg
60-70kg
70-80kg
80-90kg
90-100kg
100-120kg
120-140kg
140-160kg
160kg-
血液型
A型
B型
O型
AB型
五百井女王
五百井女王(いおい じょおう、生年不詳 - 弘仁8年10月10日(817年11月22日)は、平安時代前期の皇族、女官。摂津大夫・市原王の子。母は能登内親王。兄弟に春原五百枝(五百枝王)。従二位・尚侍。
長野女王
長野女王(ながのじょおう、生没年不詳)は、平安時代初期の女官・皇族。系譜・位階は不明。 内教坊に女嬬として出仕していたが、同宿の同じく女嬬であった出雲家刀自女と謀り、にわかに寄宿した知人の船延福女を絞殺し、顔の皮を剥いで遺骸を宮の外に打ち捨てた。
嫥子女王
(943歳)
獅子座
嫥子女王(せんしじょおう、寛弘2年(1005年) - 永保元年6月16日(1081年7月24日))は、村上天皇第7皇子具平親王の三女。母は為平親王の次女。後一条天皇時の伊勢斎宮、後に藤原教通の正室。弟に源師房、姉に隆姫女王(藤原頼通室)、敦康親王妃がいる。
隆姫女王
(936歳)
射手座
隆姫女王(たかひめじょおう、長徳元年(995年) - 寛治元年11月22日(1087年12月19日))は、村上天皇第7皇子・具平親王の長女。母は為平親王の次女。後に藤原頼通の正室となり、高倉北政所と呼ばれた。
淳子女王
淳子女王(じゅんしじょおう、生没年不詳)は、平安時代後期の皇族。三品式部卿敦賢親王(小一条院敦明親王の王子)の王女(三条天皇の曾孫)。母は源親方の娘。白河天皇治世下の伊勢斎宮。兄弟に居子女王・増賢らがいた。延久5年(1073年)2月16日、伊勢斎宮に卜定。
徽子女王
徽子女王(きし(よしこ)じょおう)は、平安時代中期の歌人。式部卿宮・重明親王の第1王女(醍醐天皇の皇孫)。母は藤原忠平の次女・寛子。朱雀天皇朝の伊勢斎宮、のち村上天皇女御。
煕子女王
煕子女王(きし(ひろこ)じょおう、生年不詳 - 天暦4年5月5日(950年5月24日))は、保明親王(醍醐天皇皇太子)第一王女。母は藤原時平の娘・仁善子。朱雀天皇女御。別名王女御。同母兄に皇太孫慶頼王。
恭子女王
恭子女王(きょうし(たかこ)じょおう、永観2年(984年) - ?)は、平安時代中期の皇族。伊勢斎宮。為平親王王女(村上天皇の皇孫)、母は左大臣源高明の女。同母兄弟に源憲定、源顕定、源頼定、婉子女王などがいる。
浄庭女王
浄庭女王(きよにわじょおう、生没年不詳)は、平安時代初期の皇族。右大臣、神王(天智天皇曾孫)の王女。母は美努摩内親王(光仁天皇の皇女)。光仁天皇朝の伊勢斎宮。〈天応元年宝亀6年(775年)4月29日、酒人内親王の退下をうけて斎宮に卜定。
敬子女王
敬子女王(けいし(たかこ)じょおう、生薨年不詳)は、平安時代中期の皇族。敦平親王王女(三条天皇の皇孫)、母は但馬守源則理の女。後冷泉天皇朝の伊勢斎宮。斎宮嘉子内親王の退下に代わり、永承6年(1051年)10月7日に卜定される。同7年(1052年)4月25日、大膳職へ初斎院入り。
元子女王
元子女王(げんし(もとこ)じょおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族。伊勢斎宮。本康親王の王女(仁明天皇の皇孫)。兄弟に雅望王、廉子女王らがいた。従兄弟宇多天皇の即位により、寛平元年(889年)2月16日斎宮に卜定された。同年9月御禊、初斎院入り。
守子女王
(868歳)
牡牛座
守子女王(しゅし(もりこ)じょおう、天永2年(1111年) - 保元元年3月29日(1156年4月20日))は、平安時代後期の皇族。伊勢斎宮。父は輔仁親王(後三条天皇の第3皇子)で、母は源師忠の女。源有仁の同母妹。伏見斎宮と号された。
隆子女王 (斎宮)
隆子女王(たかこじょおう、生年不詳 - 天延2年閏10月16日(974年12月2日))は、平安時代中期の皇族。伊勢斎宮。章明親王第1王女(醍醐天皇の皇孫)、母は藤原敦敏の女。斎宮済子女王の姉。
直子女王
直子女王(なおこじょおう、生年不詳 - 寛平4年12月1日(892年12月23日))は、平安時代前期の皇族。惟彦親王王女(文徳天皇の皇孫)。宇多天皇朝賀茂斎院。
中務
中務(なかつかさ、912年(延喜12年)頃 - 991年(正暦2年)頃)は、平安時代中期の女流歌人。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。父は、宇多天皇の皇子敦慶親王で、親王が中務卿であったことから、この名がついている。母は、女流歌人の伊勢。異母兄弟に刑部卿源後古、源方古がいる。
班子女王
班子女王(はんし(なかこ)じょおう、天長10年(833年) - 昌泰3年4月1日(900年5月2日))は、平安時代の皇族。光孝天皇の女御。宇多天皇の母、皇太后。洞院后と称された。仲野親王(桓武天皇皇子)の娘で、母は贈正一位当宗氏。寛平御時后宮歌合の主催者。
宜子女王
宜子女王(ぎし/よしこじょおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族。式部卿宮仲野親王の王女(桓武天皇の孫)。母は菅野氏。異母妹に班子女王(宇多天皇母)がいる。淳和天皇朝の伊勢斎宮。
廉子女王
廉子女王(れんし(やすこ)じょおう、生年未詳 - 承平5年2月(935年))は、平安時代の皇族。仁明天皇の皇孫で、本康親王の娘。藤原時平の正室。元慶元年(877年)正月従四位下に叙位され、御帳を掲げる奉仕をした。その後時平と結婚し、藤原保忠を産んだ。
昭子女王
昭子女王(しょうしじょおう/あきこじょおう、?-正暦5年7月7日(994年8月16日))は、平安時代中期の皇族。別名・能子。元平親王の嫡女。関白藤原兼通の正室。藤原兼通と結婚して、藤原媓子(円融天皇中宮)・藤原朝光らを生む。
川辺女王
川辺女王(かわべじょおう/かわべののおおきみ、生年不明 - 弘仁元年9月28日(810年10月29日))は、奈良時代から平安時代にかけての日本の皇族。舎人親王の孫で、三島王の娘。位階は従四位下。
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